当時の関係者が語る、「14歳」の衝撃
新聞協会発行の雑誌「新聞研究」に、衝撃に動揺する新聞社の雰囲気を伝えた記録が残っている。朝日の前線デスクとして事件を仕切っていた両角(もろずみ)晃一社会部次長は、社内の雰囲気を、こう振り返っている。
「当初、各社の報道は、おしなべて、罪のない子供を殺し、首を切断し、警察をあざ笑うような声明文を送り付けた〈憎むべき容疑者〉〈犯罪史上例を見ない猟奇事件〉という土台の上に成立していたと思う。それが少年の逮捕で一変した。六月二十八日夜。私は神戸の前線からたまたま本社社会部に戻っていた。『少年逮捕』の一報に編集局は騒然となった」
また、読売の加藤譲神戸総局長も、事件直後の様子を、こう記した。
「『容疑者は少年』『14歳、中学三年』。次々と入ってくる情報に、取材班が受けた衝撃は大きかった。予想していた犯人像と違っていたこともあるが、何よりも『14歳』という事実に直撃された」
少年の逮捕は、それほどまでにニュースバリューが大きかったのか。それとも報道を巻き込んだ一種のヒステリーだったのか。いずれにしても、どの社の紙面にも、「犯人」が14歳の少年だった衝撃と動揺がにじんでいた。事件の衝撃は、事件取材が豊富なベテランにとっても、かつてないほど大きかったのである。
「少年A」が少年事件報道のあり方を変えた
事件の「犯人」は、14歳の少年。その激震は、新聞報道のあり方を変えた。少年事件を抑制的に報じるのではなく、手厚く、つまびらかに(あるいはどぎつく)扱う方向に、各紙は舵を切る。それは、少年事件報道史の一大転換だった。
犯行の手口や動機。凶器の押収や、犯行後の少年の言動。さらには政治家や文部省、法務省などの省庁の動きまで、事件に関連するとなれば、各紙はスクープ合戦を展開し、微に入り、細に入り、事件を詳報した。それは、テレビのワイドショーさながらだった。
「連続通り魔事件も認める」
「大人に見せない別の顔」
「『透明な存在』実像は……」
「通り魔事件詳述メモ」
朝日は逮捕の報道から13日間連続で、朝刊夕刊の紙面で続報を掲載。
「頭部、一時自宅に」
「少年はなぜ変わった」
「頭部切断は『儀式』」
読売も逮捕から18日間ぶっ通しで続報を打ちつづける。
「連続通り魔も認める供述 学校への恨みが動機か」
「中3供述 『瑪羅門(ばらもん)の生まれ変わり』」
「『自分の行為』 仲間に誇示?」
毎日も20日間にわたり、続報を掲載した。
事件が大きく扱われる二つのパターンは、犯人が捕まっていない場合と、全国紙の記者が特ダネ争いにしのぎを削る警視庁や大阪府警が捜査する場合だ。犯人が逮捕されれば一件落着だし、地方の事件では各紙とも支局の人手が足りないのだ。だが、この神戸の事件は、逮捕後も続報の熱が冷めなかった。事件は、新聞社の慣例や台所事情を軽々となぎ倒したのである。
この事件は、少年事件の報道の量だけでなく、その質も変えた。
世間の注目する少年の「型」が、様変わりしたのである。