娘は口を聞いてくれず、息子は円形脱毛症に
今西 一番辛かったのは、息子が円形脱毛症になった時。小学校4年の時に自己免疫疾患を起こしてしまって、身体中の毛が抜けてしまったんです。
私のことでもストレスを感じていた息子は、自分自身の容姿のことでも悩むようになって。周囲から容姿について、からかわれたりしたみたいで。そんな姿を見ていて、自分は親失格だなと思いました。子どもを不幸にさせてしまっていると。
――お子さんたちも精神的なストレスを感じていたと。
今西 そうですね。娘は小学生の時はずっと口を聞いてくれなかったです。息子とも脱毛症になってからだんだんと距離ができてしまって。話さない時期もありました。
――博子さんとの関係はいかがでしたか。
今西 家の中でも外でも女性用の服を着ていましたから、博子さんにとってストレスだったと思います。博子さんは育児や家事、仕事をこなしながら、私のことも受け入れようと努力をしてくれていたけど、限界に達してしまって。血圧が170を超えたりと、体に異常も出始めていました。
「私のせいで博子さんに迷惑を掛けてしまうから、女性用の洋服は家の外に持って行きます」と、一時的に会社の倉庫に衣装ケース置いて、洋服を避難させました。でも、それでは間に合わなくなって、会社の近くにアパートを借りてそこに荷物を置くようになりました。
それからだんだんと博子さんと話すことが少なくなって、距離ができてしまって。自宅にも帰りづらくなり、アパートに泊まる回数が増えて、自然と別居という形になりました。
――離婚されたのは別居から7年後ですが、離婚を決めた理由は何でしょうか。
今西 別居後、自分自身の今後についてずっと悩んでいたんです。「女性として生きていきたい」と言ったものの、家族と本当に離れてしまうという怖さもあったから、ずっと足踏みしていました。
でも、博子さんが病院に付き添ってくれて、そこで初めて「性同一性障害」との診断を受けました。それから博子さんといろいろ話し合った結果、やはり夫婦としてはやっていけないという結論に至り、離婚をしました。
※2019年、WHOは性同一性障害を精神疾患から除外することを決定。現在は「性同一性障害」ではなく、「性別不合」「性別違和」と表される。
でも、私も博子さんも離婚に至るまでに相当悩みました。私にパートナーができたわけではないし、戸籍上、夫婦でいることもできたから。でも、やっぱり博子さんの気持ちを考えると、この関係を続けるのは違うなと。博子さんからの「男性としてのあなたを好きになった」という言葉を聞いて、夫婦関係は終了しようと思いました。
――性別適合手術を受けたのは、離婚されてからでしょうか。
今西 そうです。46歳の春に、性別適合手術を受けて、名前も「文彦」から「千尋」に変えました。博子さんには事前に手術を受けることを伝えましたが、ショックだったと思います。