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結婚10年目で“女性になりたい”と打ち明けたトランスジェンダー当事者(56)が直面した、周囲の反応「『あそこの社長おかまになったんやって』と噂が…」

今西千尋さんインタビュー#2

genre : ライフ, 社会

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 幼いころから自らの性に違和感を持ちながらも、“男性”として生きてきた今西千尋さん(56)。28歳で結婚し2児の父親となる一方で、「女性になりたい」という気持ちは日に日に強くなり、46歳の春、女性として生きていくことを決意しました。

 本来の性を取り戻すまでの道のりや周囲からの偏見と差別、家族の苦悩などこれまでの人生について詳しく話を聞きました。(全2回の2回目/最初から読む)

性別適合手術を受ける前の今西千尋さん (本人提供)

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5歳から自分の性別に違和感があった

――そもそも千尋さんが、性別に違和感を覚え始めたのはいつ頃だったのでしょうか。

今西 5歳の時です。その頃はLGBTQという言葉がなかったから、違和感の正体が何かわからなかった。お姉ちゃんの洋服をこっそり着てキャッキャ喜んでいたけど、子どもながらに隠さなきゃいけないことだと思っていました。

今西千尋さん(56)

――ご両親や周りの方に打ち明けることはなかったと。

今西 全くなかったです。表では男性として生きて、たまにこっそりと女性用の服を身につけることで気持ちのバランスを取っていました。男として生きる以外の選択肢なんてなかったから。実家は代々続く鉄工所を経営してたから、いずれ社長になって、結婚して子どもを育てるんだろうなってぼんやり思っていました。

 でも、昭和53年(1978年)くらいだったかな。カルーセル麻紀さんがテレビに出ているのをみたんですよ。そこで男性として生まれた方が女性の格好をするのを初めて見て。ただその時は、テレビの中だけの話だと思っていました。私なんかが突然こんなことし始めたら、生きていけないと思っていた。

性別適合手術を受ける前の千尋さん (本人提供)

――その時点では、「トランスジェンダー」という言葉はまだなかったんですね。

今西 そうです。「性転換手術」という言葉はあったかもしれませんが、広く知られていたわけではありませんでした。「性同一性障害」という診断名もなかったと思います。

※2019年、WHOは性同一性障害を精神疾患から除外することを決定。現在は「性同一性障害」ではなく、「性別不合」「性別違和」と表される。

 一般的にトランスジェンダーの実情が広く伝わったのは、やっぱり『3年B組金八先生』の上戸彩さんの役からでしょうね。当事者の心の葛藤が初めて映し出されていた。

 当時、私もリアルタイムで見てましたけど、衝撃的でした。私の性別に対する違和感って、やっぱり他の人にもあるんやなって。だからといって自分が「女性として生きる」という覚悟まではなかったのですが。