1ページ目から読む
2/3ページ目

東司はただの「便所」ではなく禅僧の修行の場だった

 東司は、「とうす」と読み、禅宗の寺の「便所」のことだとすぐにわかる人は、仏教関係者か文化財に詳しい知識人、トイレに精通した事情通だ。新聞、テレビ、デジタルニュースで一躍有名になった東司について、

〈寺の100人以上の修行僧が一斉に駆け込んでいたことから「百雪隠(ひゃくせっちん)」という別名を持つ。深さ約30センチの穴でできたトイレ約20個が2列に並んでいる。明治初頭まで実際に使われていたとみられる〉(朝日新聞デジタル版)

〈室町時代前期に建てられた禅寺の便所で、現在は使用されていないが現存する東司としては国内最古で最大という〉(京都新聞デジタル版)

ADVERTISEMENT

 と、いずれも修行僧が使っていた便所とだけしか伝わってこない。しかしこれでは新聞を読んだり、ニュースを見たりしただけの人は、排泄場所としての便所だと思いがちだが、ここは禅僧の修行の場になっていた。永井室長はこう語る。

「東司のことを皆さんはあまりご存じないから、単なる便所程度の認識しかないでしょうが、三黙堂といって食堂(じきどう)、浴室と並んで東司では、喋ることが禁じられている重要な修行の場なのです」

東司で用をたす際の6つの作法

 実は2014年11月29日に「週刊文春トイレ探検隊」がこの東司を訪れている。この探検隊の隊長が不肖私で、週刊文春の2014年11月から毎月1回2年間にわたって「『トイレ探検隊』がゆく!」を連載した。隊員数は、7歳から90代まで228人の大所帯だった。その第2回探検で訪れたのが此方だった。

トイレ探検隊・隊長

 その時の模様を再現すると、〈日本最古のトイレの建物は、普段は非公開であり、壁の隙間からほの暗い中をぼんやり眺めることが出来るだけだ。入り口の白壁の天井近くに掲げられた「東司」の大きな表札の下をくぐる。中は7メートル×14メートルの長方形のガラーンとした空間で、目を凝らしてみると地面に丸い穴が行儀よく左右に9つずつ並んでいる〉。

 そのとき広報主事として案内してくれたのが、永井室長の次男正俊氏だった。その際、「隣の禅堂で暮らす僧たちの集団生活そのものが修行だったので、ここで用をたすのもその一環だったのです」と説明した上で、ここでの作法を詳しく教えてくれた。

〈①まず水の入った桶を持って入る②トイレの壺の中を持参した水で、パッパッと清める③トイレをする④籌(ちゅう)と呼ばれる竹や木で作ったヘラ(あるいは匙)でふく⑤使い終わったヘラは別の壺に入れる⑥隣の奥の洗い場で土と灰で3回ずつ手を洗い、最後に橘の実を磨り潰したもので手をもみ洗う。これで消毒完了〉

東司 ©文藝春秋

 確かに修行の場であったことが垣間見えた。ところが今回テレビや新聞の動画で思いがけず東司の奥までの映像が紹介されてしまい、あの神秘に満ちた荘厳な雰囲気が雲散霧消した感がある。