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 星野さんはまさに恩人なんです。自分が体験したことは、そのまま皆さんにお伝えしなければならない。その一線は越えないようにお話ししてきましたし、これからもそうしていきたいと思っている次第です。

投手がミスしても、一緒に怒られた

 各所でお話ししてきた通り、ユニホームを着ている時は星野さんに、とにかく毎日のように怒られ、そして殴られました。投手がミスしても、その投手と一緒に怒られました。星野さんが他の選手をあまり殴っていなかったのは私を殴っているから、その暇がなかったのではないかと思うほどでした。

 しかし、鉄拳指導の話は追々、書いていくことにして今回はこれまであまりお話ししていない星野さんの“鬼”以外の一面をご紹介したいと思います。

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星野仙一氏 ©文藝春秋

帝国ホテルのスイートと高級肉

 あれは私がオールスター戦に初出場した1988年、まだ21歳の時でした。前年、星野さんの中日監督就任とともに私が起用されるようになったことで、クビを覚悟した一時の状態からは脱し、プロで生き残れる手応えを感じ始めていた頃です。

 プロ入り当初は、まさか出られるとは思っていなかった夢の球宴です。この年、第3戦は東京ドームでの開催で、中日球団は遠征で定宿にしていた東京都内のビジネスホテルを用意しました。球宴には18歳のルーキーだった立浪(和義=現中日監督)も選ばれていて、シーズン中と同様、相部屋の予定でした。

現役時代の中村氏 ©文藝春秋

 これに待ったをかけたのが星野さんでした。

「オールスター選手になったんだから、もっといい部屋を取れよ」と。

 代わりに用意されたのは帝国ホテルのスイートルームでした。当然、一人部屋です。これがもうすごくて、一人では持てあますほどの広さと設備でした。

 そして試合前日、星野さんには生まれて初めて銀座に連れて行ってもらいました。食事は鉄板焼で、これまた食べたことがないような高級なお肉を頂いたのです。