「グランド・オダリスク」1814年、油彩、91×162cm ルーブル美術館 ©ユニフォトプレス

「オダリスク」とは、ハーレム(オスマン帝国王室の後宮)にいる女奴隷ないし寵姫を指す。十九世紀ヨーロッパで東洋趣味が席巻した際、オダリスクは非常に好まれた主題だった。本作に「グランド(壮大な)」が冠された理由は、それら数多く描かれた絵画群の頂点と見做されたゆえだ。

 アングルは、ナポレオンの肖像で有名なダヴィッドの弟子だったが、長くイタリアで暮らすうち、男性的で硬質な歴史画より優雅な女性美を描く方が自分に向いていると気づく。正しい選択だった。彼の作品はどれも、緻密な写実性と甘やかな女性の裸身の対比が、すばらしい効果を上げている。本作はそのお手本。

 背景の薄闇、ブルーのカーテン、枕やベッドマットの青灰色、白いシーツ、高価な宝飾品などが醸し出す冷ややかな印象を、縞模様のターバン、茶色いムートン、孔雀の羽でできた扇、そして血のかよった女体の温もりが和らげる。

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 こちらへ視線を向けたオダリスクは、まだあどけなさの残る顔だ。表情は読めない(そもそもアングルは登場人物の感情に関心がなかった)。まろやかな乳房、なだらかな丘の稜線を彷彿とさせる腕や腰。白い足裏は未だかつて歩いたことなどないかのようだ。

 香炉から立ちのぼる白煙や布の襞など、小道具の全てが本物と見紛う完璧な再現性なので、彼女の肉体の奇妙さに気づくのが遅れる。

 奇妙というか、いささか薄気味悪いというか……。

 そう、一見、非のないこの美しい裸身は、胴体と腕が尋常ならざる長さなのだ。近年の研究によれば、背中の椎骨が五つも多いらしい。

 だがアングルは確信犯だった。同作のデッサンが残っており、そこに描かれている人体構造は正確そのもの。完成作で故意に均衡を破ったのだ。その効果は目覚ましく、女体は鱗のない白蛇のごとき妖しさと艶めかしさを獲得し、今にも這いだしそうな異様な迫力で見る者を金縛りにする。

■香りとエロス
紅茶に浸したマドレーヌの香りが過去を鮮やかに蘇らせたように(プルースト『失われた時を求めて』)、嗅覚は大脳辺縁系と結びつき、本能や感情に直接作用するのだという。香水とエロスの密接さはそこからきているし、妖しい場所――たとえばこのハーレムの一室――に香炉が置かれるのも必然だ。裸身に芳香をまとった美女は、猫にとってのマタタビ同様、男たちの胸を狂おしく掻き乱すのだろう。

ドミニク・アングル Dominique Ingres
1780~1867
フランスの古典的伝統派の巨匠として、後世に大きな影響を与えた。

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