日本人が言うことの「本当の意味」を理解するのは大変
――日本人との交流で苦労したことはありましたか。
ラミヤ 日本人は、向こうから話しかけてくれないですね(笑)。大学の工学部の学生107人中、女性は7人だけ。友達を作りたくてもなかなか作れなかった。一度、手紙を書いて学部の女の子に持っていったことがあります。
やはり日本語も難しかったですね。日本人ははっきりとものを言わない。白とも黒とも言わない。その中で「本当の意味」を理解するのは大変でした。最初は日本語を自在に話すことができないので、しばらくは観察するんです。日本に来た時は、もう観察、観察、観察の日々でした。
――夫の金井一篤(かずしげ)さんは大学の同級生だったんですよね。
ラミヤ そうです。夫と出会ったのは大学でした。仲の良いグループの1人。大学の宿題やわからないことを教えてくれましたし、ノートを貸してくれたりして、とりわけ優しい人でした。大学1年生の夏休みに、有馬温泉のお祭りに誘ってくれて、私は日本の温泉や旅館を初めて体験しました。
温泉旅館の若旦那と結婚、義父母との関係は…
――歴史ある有馬温泉、その最古の温泉旅館の若旦那・一篤さんとの結婚で、義理のご両親をはじめとする、金井ファミリーとの関係性を築くことに苦労はありませんでしたか。
ラミヤ 義理の両親は私に何かを強制することはなかったんです。例えば、義理の父は「いま○○さんが来ていて、紹介したいからすぐに来て~」とか、いろいろな人に会わせてくれました。それは今でも変わりません。
義理の母は「お茶会あるから、行く?」という感じで、自然に私が温泉、旅館、日本文化に触れる機会を与えてくれました。さりげなく私を楽しい空間に誘ってくれる。あくまでも押し付けずに、働き方やマナーを教えてくれました。結婚当初は有馬に外国人がほとんどいなかったけれど、地元の皆さんも優しかったですね。
――モロッコにいるご両親は、日本の温泉旅館に嫁ぐことを心配されませんでしたか?
ラミヤ 心配というより、両親は旅館がどのような場所か、イメージが湧かなかったと思います。唯一心配していたのは、私のキャリアが途切れることでした。むしろあの頃は両親よりも、日本人から「旅館に嫁いで大変じゃない?」と心配されていたかもしれない。
――現在のラミヤさんをモロッコにいるご家族はどう見ていますか。
ラミヤ 私の家族は、2度有馬温泉に来ています。1度目は父と母が滞在して、私も「御所坊」に泊まって、ご飯を食べて、一緒に過ごしました。実際に体験してみて、ようやく日本の伝統的な旅館のことを両親も理解できた。2人とも、とても安心していました。