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「大学はぜいたく品」と門前払い…生活保護を受けられない“貧困学生”の過酷すぎる現実

2022/11/02

genre : ライフ, 社会, 教育

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経済的自立を目指して大学に進学することの何が「贅沢」なのか

 日本では長らく学歴を重視した新卒一括採用が行われているはずなのに、「普通」に大学に通えない子供たちに対して、なぜか世間の風当たりは厳しい。自己責任も何も、彼ら彼女らは家庭で虐待を受けてきた被害者であり、教育を受ける権利すら奪われてきた立場の人間である。そこから逃げ出して、将来の夢を叶えるため、あるいは何の後ろ盾もない分、一生金に困らないように、誰にも迷惑をかけないように経済的自立を目指して大学に進学しようとすることの、何が「贅沢」なのだろうと思う。

 そうやって子供たちの可能性を奪い続けるような、文科省で大臣を務める政治家が「身の丈にあった受験を」などと言ってしまうような国において「優秀な人材」が増加することは今後もないだろうし、経済的に発展する未来なんて夢のまた夢なのだろうと暗澹たる気持ちになってしまう。

 高校3年生だった頃、私は実家での兄による暴力被害に疲弊していて、いつも親が口を酸っぱくして言う通りに、卒業後は家計を助けるためにどこでもいいから就職をするのが普通なのだと思っていた。学校で配られた進路希望調査表も、親に見せることなく「就職」とだけ書いて提出した。

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心のどこかで感じていた将来への不安

 しかし蓋を開けてみると、大学に進学せず就職するつもりなのは300人以上いる同級生の中で私ひとりだけだという。心配して私を呼び出した進路相談の先生から「もしも進学しない理由が経済的な事情だけなら、奨学金を借りてでも、絶対に大学に行っておいた方がいい。少しでもその気があるのなら、お前には勉強を続けてほしい」と説得されたことで、それまでずっと心のどこかで感じていた将来への不安が強まっていった。

「もしも卒業したあと、学校が紹介してくれた事務職にそのまま就職したとして、やりたい仕事が見つかったときに転職できるだろうか」

「誰かに決められて選んだ仕事を、特にやりがいも感じないまま、私は一生続けられるだろうか」

「もし体を壊して仕事を退職することになった場合、私には再就職できるだけの技能や武器があるだろうか」