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「大学はぜいたく品」と門前払い…生活保護を受けられない“貧困学生”の過酷すぎる現実

2022/11/02

genre : ライフ, 社会, 教育

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もし夫や子供から暴力を受けるようになったとき、経済力がなければ…

 子供の頃からの私の夢はたったひとつ、あの地獄のような家から逃げ出すことだけだった。みんなが「普通」に持っている平凡な幸せでいいから、ただそれだけがほしかった。でも、その「普通の幸せ」を手に入れるには超えなければならない大きな壁が存在した。

 何も知らないまだ小学生や中学生の頃は、結婚が可能な年齢になればさっさと誰かと結婚して、新しい自分の家族を作ることができればそれでいいと思っていた。しかし自分の将来を真剣に考え始めたとき、「もしも自分の夫や子供から暴力を受けるようになったとき、自分に経済力がなければ、逃げることもできずにまた同じ地獄を耐え続けなくてはならないのではないか」と思うと、心の底からぞっとしてしまった。

 そうなれば、できるだけ生涯年収を上げる準備をしておく必要があるし、大学を卒業しておいた方が、将来の自分にとっては絶対にいいはずだ。実家から逃げ出すからには、病気や怪我など何かあったときに親の援助を受けることなどできないし、たったひとりでも生きていく力を今のうちに養っておくしかない。

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 大学に行きたいと切り出したとき、母親は「あんたが働いてくれないとこの家はどうなるのよ」と私を泣きながら責めた。自分が何かとんでもなく酷いことをしているような気がして、罪悪感に潰されるような気持ちで悩み続けたが、結局私は親の反対を押し切り、機関保証(親が保証人にならなくても奨学金を借りられる制度)で数百万円の奨学金を借りて大学に進学を決めた。

写真はイメージです ©iStock.com

過労と暴力による過酷な大学生活

 無事に入学を果たしたのはいいものの、毎月口座に振り込まれる奨学金は母親が管理していて、一家の生活費に補填されることもあったから、私はアルバイトをいくつも掛け持ちしながら学生生活をスタートさせる必要があった。

 早朝6時からコンビニで働いたあと、1時間かけてキャンパスに向かい、昼から講義を受け、夕方からは居酒屋や塾講師のアルバイトへ直接向かった。土日も朝から夕方まで神社でアルバイトをして、そのまま夜に居酒屋に出勤することもあった。

 当時、被虐によるうつとPTSDを患っていた私の体は過労とストレスでボロボロになり、吐いたものの中に血が混じるようになった。大学2年生になる頃、兄からの家庭内暴力がさらに激化し、私はいよいよ全く働けないほどにまで心と体を壊してしまった。