音楽文化を継承していく手助けをしていきたい
——そこには、達郎さんなりの一線の画し方もあるわけですよね。
山下「引けるものと引けないものとの差。変えるべき部分と変えちゃいけないところの違いについては、それこそずうっと考え続けてきましたから。結論としては、トレンドにはなるべく手を出さない。流行りものを排除することによって、いつ作ったかわからない、時代に左右されないものが出来上がる。全篇アカペラの『ON THE STREET CORNER(オン・ザ・ストリート・コーナー)』などは、その最たるものですよね。自分が生まれる以前の古い音楽をやることによって、逆説的に古びないという。へそ曲がりなんです(笑)。
あと、これは多分に評論家の影響もあるんだろうけど、日本はとかく芸術至上主義に傾きがちですよね。その反面、アーティスト側に入る取り分は、とかくピンハネ、未払いという理不尽が今も少なくない。1曲かかって1円、みたいな配信ビジネスも、誰のためのものかよくわからない。もとはと言えば、著作権を売っ払ってエーゲ海で遊ぶ、みたいなビジネス・モデルに問題があるんだけど、そういうシステムが生まれたアメリカには、成功者が評価されて、その上で手にした利益を社会に還元する別のサイクルもある。ヨーロッパで言うところのノブレス・オブリージュですよね。
一言で音楽文化といっても、いろんな側面、いろんなやり方がある。アヴァンギャルド・アートをやってますと言えば聞こえはいいかもしれないけど、平和な時代だからこそ通じる話であってね。シリアの難民キャンプに持って行っても、ほとんど意味を成さないわけです。だったら僕は、20代30代の人たちを少しでも引き上げることで、音楽文化を継承していく手助けをしていきたい。自分なりにできることがあるとしたら、それ以外にないと思うので」
歌謡曲の作曲はいまだに小僧っ子
——“座付き作者”とおっしゃいましたが、ジャニーズ・アイドルにも数多く作品提供されています。KinKi Kidsの「硝子の少年」であったり、あとは何といっても近藤真彦さんに書いた「ハイティーン・ブギ」であったり。
山下「歌謡曲の作曲ということで言ったら、僕なんか、いまだに小僧っ子ですけどね。『ハイティーン・ブギ』にしたって、筒美京平さんだったらどういう風に書くだろうって、その一点で考えてますから。『硝子の少年』もしかりで、そういう意味では筒美さんの生徒みたいなもので。
筒美さんがマッチ(近藤真彦)の曲を仕上げていく現場は、かなり見学させていただいてるんです。当時所属していたRCAのディレクターの小杉理宇造さんは僕の担当だったけど、同時にマッチも担当していたので。小杉さんはマッチのレコーディングのプロデューサーで、『スニーカーぶる~す』の演奏を切り張りして、筒美さんが当初書いた曲の進行を変えたと聞いた時には驚きました。温厚な筒美さんもさすがに不満をもらして。今ならエディットという分野の話ですけど、当時はあり得なかった。しかも筒美さんの曲ですよ(笑)。でも、小杉さんは『すいません、先生。けど元のままじゃ、オリコン初登場1位を取れないんで』って」
『ハイティーン・ブギ』の音階が下りまくる理由
——すごい逸話ですね。
山下「当時のアイドル歌謡には、そういう名物ディレクターがいたんですよね。小杉さんしかり、山口百恵を手掛けた酒井政利さんしかり。
痛感したのは、アイドルというのは歌唱力うんぬん以前に、どれだけの“切迫感”を歌に込められるか、その一点にかかっているということなんです。マッチだったら『ブルージーンズ メモリー』で“バカヤロー!”と絶叫するくだりとか」
——たしかに、歌のうまさでどうこうできる次元ではないですね。
山下「ティーンエイジ・ミュージックなので、歌うのが男の子だったら女の子の気持ち、女の子だったら男の子の感情をどうつかむかが、一番の問題になってくる。マッチの作品はそういう意味で一番すごかった」
——「バカヤロー!」の制作現場も、ご覧になっていた。
山下「見てました。その経験もあって、いかに歌唱力の弱点を補正するかは作家の仕事なんだと考えて、『ハイティーン・ブギ』を作る前に歌いぐせをデータ化したんです。音程の移り変わりで、どこが一番安定しているか、どこが弱いかの表を作った。マッチの場合、音階が下降する時には音程も比較的安定しているんだけど、逆に上昇する音程はとても脆弱で。『ハイティーン・ブギ』の音階が下って下って下りまくるのには、そういった理由があったんです」