「もともと海外の文化や生活に興味がありました。しかし、中学で英語を習い始めてすぐにつまずいてしまいまして……」
初めてのエッセイ集『ロマニ・コード』を上梓した言語学者の角悠介さん。今はルーマニア最古で最大の国立大学の日本文化センターで所長を務めている。
角さんは中学生の頃、エスペラント語(母語の異なる人々の間での意思伝達を目的とする国際語)の入門書を本屋で見つけた。
「表紙に『簡単に習得できる!』と書いてあって、まさかね、と思いつつ読んでみたんです。確かに英語よりも単純な構造で、エスペラント語を入り口にして次第に英文法もわかるようになっていきました」
そして多くのヨーロッパの言語のルーツであるラテン語に関心を持つように。高校卒業後、ルーマニア政府の奨学生として東欧ルーマニアに留学した。
「ラテン語から派生した言葉を使っている国のなかで、ルーマニアが一番物価が安かったからです(笑)」
さらに、修士取得のためにハンガリーの大学へ。ハンガリー語の難解さに思い悩んでいたとき、またしても本屋で運命的な出会いが。
「ロマニ語の教科書をたまたま手にとってペラペラめくってみたら、全く知らない言語なのに、なぜかわかる単語がチラホラ出てくる。そこに興味を持ちました」
ロマニ語とは、ロマ民族の言語。ロマは定住せずに移動生活を続けた歴史が長く、今も自分たちの国を持たず、ヨーロッパを中心に世界中に散らばって暮らす。そのため、多くの単語を他言語から借用しているのが特徴の一つ。だが、近年はロマニ語を子供に教えたり、人前で話したりしないロマも増えているという。
角さんは様々なロマの集落に通い、方言を集めた。
「ロマは、住む地域によって独自の発達を遂げているので、方言の差も大きいんです。それがロマニ語の学習の難しさであり、面白さでもあると感じています」
現在は、伝統的なロマニ語を話すロマが多く暮らすルーマニアを拠点としてフィールドワークに励み、ロマの友人たちと交流している。その5年間の体験を、アカデミックかつ面白おかしく綴ったのが本書である。テーマは、食や住まい、踊りや酒から、魔術、秘密諜報員、戦争にまでおよぶ。
「ヨーロッパでは、ロマはトラブルメーカーの厄介者というイメージがつきまとっていて、自分から積極的に関わろうとする人はあまり多くはありません。でも、つきあってみると、とても素敵な人たちもいるんです」
ロマニ語の最初の師匠は、ハンガリー生まれ、ドイツ在住で、今は〈ゴミ拾いをしたり物乞いをして生活しているおっさん〉。「私の研究生活は常識の斜め上を生きるロマニ語話者たちのせいで、どこかすっとぼけた世界になってしまっている」と角さんはコミカルに綴る。本書からは、ロマへの深い愛情が伝わってくる。
「国を持たないロマは、どこへ行っても、よその人。それは、ルーマニアで暮らす僕の境遇と似ています。そんな僕が惹かれるのは、彼らの適応力の高さです。どこでも誰とでも、それなりになんとかやっていく強さがロマにはある。自由奔放なロマたちの“いい加減さ”を見ていたら、しみじみ気づくと思います。日本はとても成熟した国ですが、それゆえに窮屈に感じることもある。でも、社会はそこだけじゃない、そこで苦しみ続ける必要はない、と」
そのロマの言語も文化も今は失われつつある。少しでも多くの話をロマたちから採集すること、それが自分の使命だと角さんは語る。
すみゆうすけ/1983年、東京都生まれ。言語学博士。ルーマニア国立バベシュ・ボヨイ大学日本文化センター所長、文学部ロマニ語講師。神戸市外国語大学客員研究員。国際ロマ連盟日本代表。ロマ民族への貢献により欧州議会やロマ文化団体から感謝状・表彰を受ける。