「フワちゃんとの最初の出会いは、僕がルームシェアしていた家に芸人仲間と一緒に遊びに来てくれた時。見た目も態度も完全に“素人田舎ギャル”でした」
当時まだ無名のピン芸人の彼女は、ソファーに座ると、パッと脚を開いて「見てー、股ー」と言った。
「『見て』と注目を集めたら、こちらの想像を裏切ってボケるのがお笑いじゃないですか。でも、そのまま『股』だった。裏の裏が表になって、悔しいけど笑っちゃったんです」
長﨑周成さんはテレビ番組やCM、Netflixなどメディアを横断的に活躍する気鋭の放送作家だ。フワちゃんブレイクのきっかけとなったYouTubeチャンネルを共に開設し、企画構成とカメラを担当している。
今回、初の著書『それぜんぶ企画になる。うしろだてのない放送作家が新しいエンタメで世を沸かす20の方法』を上梓。「ゴミ箱から全てを学ぶ」「5万円分のアイデアは無料配布」といった売れるためにやった20の仕事術と、その半生がまとめられている。
「放送作家としての僕は、突然ポーンと出てきた天才じゃない。皆と同じくらいか、仕事に関してはそれ以上に泥を飲んできたところもあったかもしれない。足掻(あが)きながら、現状を変えたいと思っている人の背中を押してあげられる本になれば、と思って書きました」
中学時代「くりぃむしちゅーのオールナイトニッポン」を聴き、お笑いの魅力に目覚めた。高校1年で同級生とコンビを組み、翌年M-1グランプリに出場。コンビを解消後、大学4年で別の友人に「学生芸人の大会にでない?」と誘われてまたコンビを組むが……。
「芸人の道は大学4年の秋にきっぱりと諦めました。売れる芸人さんって、どこかバカに振り切っているところがあると思うんです。僕にはバカで居続けるだけの覚悟がなかった」
そして卒業後、番組制作会社に就職してADに。
「お笑いの仕事をやりたいとずっと思っていました。演者か、制作か、それとも作家なのか、自分でも正解の形が中々分からなかったから、全部やってみたんです。それで就職したんですけど、入って1週間で先輩に辞めるって宣言して(苦笑)。番組に対して、最終的な画(え)を考えることより、どんな企画をするかってことに興味があったから。舵を切るなら早いほうがいいとすぐに決断をしました」
入社3カ月で退職。辞める前から放送作家の名刺を作って、テレビ局や現場のスタッフに配ったという。本書ではその後の「暗黒の下積み生活」から、現在に至るまでが振り返られる。
「僕に実力があったとすれば、人との縁を絶対に切ろうとしなかったこと。この業界自体、人の縁でしか回っていないところがあると思っていて。フワちゃんとの話でも、家に連れてきた芸人仲間とは高校時代の漫才大会で出会っていたし、特に手応えを感じたセブ島での企画は、たまたまAD時代の同期がフィリピン留学の会社に転職していたから実現できた。業界がすごく狭いので、若い頃に様々な人に会っておけば、いずれちゃんと伏線回収期が訪れる。僕自身、全部がフリだと思って生きています」
本書を執筆したことで意外な事実も判明した。
「実家に帰った時に祖母に本のことを言ったら、サラッと民俗学者の柳田國男が血の繋がった遠い親戚であると聞かされて。祖母の記憶もおぼろげで、それ以上は分からずじまい。31年生きてきて、初めて知った事実です。いつか『ファミリーヒストリー』的な番組で調べてほしいですね」
ながさきしゅうせい/1991年、兵庫県生まれ。大阪芸術大学放送学科卒。放送作家。株式会社チャビーCEO。地上波テレビ番組の企画構成を担当しつつ、2018年に「フワちゃんTV」をフワちゃんと共に開設。2019年に20代の放送作家を中心とした企画会社「チャビー」を設立。