「自己啓発としての『ドラゴンボール』」「スライム倒して300年経たないと幸せにならない氷河期世代」。
宗教学者である内藤理恵子さんの新刊『新しい教養としてのポップカルチャー』の目次には、目を引くような文言が並ぶ。本書は、マンガ、アニメ、ゲームという“ポップカルチャー”を、教養のスタンダードとして位置付ける試みだ。
内藤さん自身、ポップカルチャーの“沼”にハマっているという。
「小学生までは勉強ができたのですが、私立中学に入学してみると、周囲は自分より勉強もスポーツもできる子ばかり。アイデンティティが崩壊し、別の居場所を求めるようになりました。そして出会ったのが、世界の宗教文化をモチーフにしたゲーム『真・女神転生』シリーズ。ファンクラブに入会し、夢中で追いかけたことをきっかけに宗教学に興味を持ちました」
内藤さんが大学を卒業した2002年は、就職氷河期まっただ中だった。
「なかなか就職先もなく、手に職を付けようと、自分は似顔絵師に向いているのではないかと自己判断し、大型ショッピングモールなどで似顔絵師として働きました。日によって収入にばらつきがあり、一生できる仕事ではないと思うように。そこで貯めたお金で大学院に進学して、就職活動をもう一回することにしました」
大学院では納骨堂の研究で論文を執筆するも、修士課程を終えた時点でも氷河期が続いていた。博士課程を勧められ、進学を決めた。
「4年かけて博士号を取りましたが、今度は博士の余剰問題(ポスドク問題)にぶつかり、非常勤研究員にはなったものの、お給料は出ない。大学で非常勤講師を数コマ掛け持ちするも、給与は時給換算で将来が見えず悩んでいました」
そんなつらい状況だった時に、アニメ『秘密結社 鷹の爪』と出会った。
「久しぶりに心から笑うことができ、救われたという感謝の思いから、自分も鷹の爪団の団員であるという気持ちで応援ブログを毎日のように書いたんです。するとそれを見た出版社の方が声をかけてくれ、鷹の爪団についての本『必修科目鷹の爪』を出版することができました。ポップカルチャーについての執筆はそれが初めてです」
本書は、近年目にすることが増えた「異世界転生」物語に死生観を巡る考察を加えたり、自己啓発とポップカルチャーの関わりを論じたりと興味深い。
「今作は『教養』がキーワード。実は執筆する前に、担当編集者が大好きなドストエフスキーや関連の本を真剣に再読したんです」
たとえば漫画家のジョージ秋山の「ドストエフスキーの犬」(2010年の作品だが舞台は昭和)には、教員が小学生に「若い時にドストエフスキーくらい読んどかにゃいかんぞ」と声をかけるシーンがある。
「ジョージ秋山はドストエフスキーに代表される教養主義を踏まえながらも、漫画で描かれる当時のインテリ層に対しては違和感を抱いていて、フラットな目線で教養をとらえていると感じました。そうした意味で、私の中の“教養人”のイメージに近いのは彼です。
ポップカルチャーの歴史はつくられている最中。売れているもの、社会的に評価されているものだけではなく、人々の記憶から消えてしまいそうなものも、個人の経験と絡めながら論じられることが大事ではないかと思いながら書きました。旧来の意味の教養を軽んじるのではなく、理解しているとポップカルチャーをより楽しめる、ということが伝わればと思っています」
ないとうりえこ/1979年生まれ。哲学者、宗教学者。現在は南山大学宗教文化研究所非常勤研究員。著書に『「死」の哲学入門』『「死」の文学入門』『必修科目鷹の爪』『あなたの葬送は誰がしてくれるのか』などがある。