〈由起子にとっての俺は、その程度だったのか?〉
結婚生活12年。別れを切り出した林由起子を置いて、夫の信之は家を出ていったきり、連絡はない。台湾の李登輝元総統の死去を報じるテレビニュースを見て、21世紀目前だった17歳の記憶を思い出していく。戦争も紛争もない国の平和な時代に生まれたことを幸運だと思っていた。だが、友人の林美怜(リンメイリン)は言う。
〈生まれた頃、台湾は、まだ戒厳令下だったの〉
〈李登輝は、22歳まで日本人だったんだよ〉
彼女は台湾人の父を持ち、マイノリティーに対して理解の乏しい日本人に常に腹を立てていた――。
台湾で生まれ、3歳で日本に移住した温又柔さん。台湾と日本の間で揺れるアイデンティティーをテーマにした作品を世に問うてきた。最新の短編集『永遠年軽(えいえんねんけい)』の表題作の主人公は、“ふつう”の日本人だ。
「2020年の李登輝の死は、子どもの頃から身近な政治家だったので衝撃を受けましたが、周りの日本人は親日家として馴染みがあるはずなのに関心がまるでない。この温度差はなんだろうと思いました。40代になって、あの頃抱いていた疎外感や焦燥感を、由起子という日本人の視点で、再び見たいと思ったんです」
2002年、日韓ワールドカップ。日本代表を応援しないなんて非国民、という飲食店の店員の何気ない一言に、美怜は激しく怒る。「尖っていましたね」と温さんは自らを重ねて笑う。
「美怜はほぼ私です。大学院に進学した頃で、社会に広まるナショナリズムに対する日本人の無自覚さに憤りました。でも振り返れば、景気は下り坂、同級生は就職活動で苦労していて、それどころじゃなかったんですよね。就職で失敗すれば、肩書きみたいなものを失うという頼りなさ、不安。20年遅れて周りの気持ちがわかりました(笑)」
美怜にはもうひとりの友人、林圭一が寄り添う。夫婦別姓を認めない日本の制度を批判して、自分は結婚しないという彼女に、〈ナニジンだろうと、メイリンはメイリンさ〉と肯定しつつ、したくても結婚ができないひとたちもいると諭す。
「デビューして以来、私は偉そうに国籍の問題ばかり書いていました。ある時、文学賞のパーティーで『もっと日本の悪口書いてくださいね』と“応援”されたことがあるんです。私の苛立ち、私の信じる正しさを書いたはずが、違う読み方をされていた。衝撃でした。正しさを訴えるばかりで、訴えられた方の顔が見えていなかった。以来、仮に私が日本に生まれ育った日本人なら、こうした問題に気付いただろうか、と自問しながら作品を書いています」
三人は親密と疎遠を繰り返しながら、それぞれの居場所を見つけていく。圭一は「これからの人生では、今がいちばん若い」と言う。それは「永遠年軽」に込めた思いでもある。
「最初に読んだ編集者が、ボブ・ディランの『フォーエバー・ヤング』を連想したと言ってくれて、時の流れに逆らわず真っすぐ生きていくという思いと重なったんです。それで曲名の中国語訳をタイトルにしました。年齢を重ねるにつれて気持ちが軽くなっていくイメージが持てるのでは」
やがて由起子は、夫の気持ちに気づく。国籍や言葉が同じであっても、相手を理解することは難しい。
「生きている以上、対立や軋轢はある。歴史の記憶もまだ生々しい。マイノリティーは苦悩を描くものだという世間の先入観もある。でも、全部含めての人生。読者が前向きになれる小説を書いていきたいですね」
おんゆうじゅう/1980年、台北市生まれ。両親とも台湾人。幼少時に来日、台湾語混じりの中国語を話す両親のもとで育つ。2009年「好去好来歌」ですばる文学賞佳作を、20年『魯肉飯のさえずり』で織田作之助賞を受賞。著書に『真ん中の子どもたち』『空港時光』、編著に『李良枝セレクション』等。