ポストコロニアル小説という言葉がある。ある地域が植民地であったという事実とその歴史が、背景と筋立てそのものに大きな役割を果たす小説である。
台湾の現代文学を代表する作家、呉明益の『眠りの航路』はまさにそんな小説だ。しかもとてつもなくスケールが大きい。
主人公は2人いる。元新聞記者でフリーライターの「ぼく」は、ある日睡眠の不調に気づく。奇妙にも入眠時間が3時間ずつ後ろにずれていき、しかも眠りはとても深く、まったく夢を見なくなる。
もう一人は、「ぼく」の父親で、台北市の「商場」で機械修理の店を営んでいた三郎である。
「商場」とは、飲食、衣類、家電、雑貨、土産物など各種の小さな商店が集まり、上階に住居スペースがついた3階建ての棟がいくつも並ぶ商業施設で、呉明益の別の傑作『歩道橋の魔術師』(天野健太郎訳、白水社)の舞台でもある。
本作でも「商場」は、市井の人々の多様な声とその物語が飛び交う場として生き生きと描かれる。「ぼく」にとっても子供時代から青春期を過ごした大切な場である。しかしその取り壊しが、三郎の人生に大きな影響を与える。
それにしてもなぜ台湾人の「ぼく」の父が、「三郎」なのか?
1971年生まれの呉明益の父親と同世代の三郎が生まれた当時、台湾は日本の植民地だった。ゆえに「三郎」と日本名に改名し、日本語教育を受けた少年は、太平洋戦争のさなか、少年工として日本に渡り、神奈川県の大和市にあった高座海軍工廠で働くのである。
小説では、三郎の少年工時代の記憶――戦闘機製造のための技術訓練、他の台湾少年工たちとの交流、米軍のB29爆撃機による空襲などが、細部はきわめて鮮明ながら、明白な一つの意味に回収できない夢の断片を集めていくような筆致で描かれる。
日本の読者にとっての大きな驚きは、三郎と日本人青年「平岡君」との出会いだろう。平岡公威、のちの三島由紀夫は実際にこの高座海軍工廠で勤務したことがあるのだ。その事実から、植民地出身の少年とのちに愛国思想に傾倒し自死することになる日本人の若者の対話を思い描く、呉明益のポストコロニアル的な想像力には唸らされる。
少年工時代に難聴を患った三郎は、帰国後も聴力に問題を抱え、結婚したのちも、話好きの妻とちがって、家族にも自らの過去を明かすことはない。
「ぼく」は日本を訪れ、知ってか知らずか、父の足跡を辿り、各地に残された戦争の悲しく痛ましい痕跡に触れる。そこから甦る記憶が、彼の喪失した夢であり父の過去であるとしたら、最後に彼が夢を回復することは、台湾と日本とを問わず人類にとって、忘却してはならぬ継承すべき記憶があることを示している。
ごめいえき/1971年、台湾・台北生まれ。輔仁大学マスメディア学部卒業、国立中央大学中国文学部で博士号取得。現在、国立東華大学華語文学部教授。小説に、国際ブッカー賞候補となった『自転車泥棒』や、『複眼人』『歩道橋の魔術師』。他に写真評論・エッセイ集等がある。
おのまさつぐ/1970年、大分県生まれ。早稲田大学教授。『九年前の祈り』で芥川賞。他に『水死人の帰還』『踏み跡にたたずんで』等。