親ガチャという言葉を最近よく聞くようになった。親は選べないということを、無作為に玩具が出る「ガチャガチャ」にたとえている。至言だと思う。
本書は、刑務所などの矯正施設で精神科医として20年以上に亘って勤務した著者によるエッセイだ。非行少年少女と受刑者、またその家族の姿が描かれる。
その筆致は、「生活のため淡々と働くのがよい精神科医なのである」という信条そのもので、抑制がきいている。ただ静かに、ひたひたと、著者の見た現実が迫ってくる。この人の書くものなら信じられると思う。
公園で幼い子どもに性加害を行った少年も、風俗店で働き保護された少女も、いずれも過酷な家庭環境で育っていた。著者が医療少年院で担当した非行少年少女のほとんどが、ひどい虐待を受けてきていたという。親ガチャで外れを引いた人たちだったのだ。
万引きを重ねては刑務所にもどってくる男性や、錯乱して対話が成立しないため、長い間拘置所に留め置かれている高齢者もいる。
彼らの背景に虐待があり、知的障碍や精神疾患がある。著者は、彼らの「多くが人生の偶然や不運に翻弄されているように見えた」という。ほんのわずかな人生のずれで、わたしたちの行く末が塀の中にならないとも限らないのである。
しかし、刑務所においては、その心的外傷や精神疾患の治療もままならない。彼らに必要なのは「福祉的な配慮と根気強い支持的な対応」であり、決して個人と家族に「自己責任」を押しつけることではないのに。
その刑務所の抱える問題を知りながら、著者はしかし、現在の日本の法制度の下、医療にできることはここまでと、患者が出所していくのを見送る。困難を抱えたままの彼らがどうなったのかはわからない。
はじめはそれをもどかしく思いながら読んでいた。著者たちにもう一歩、踏み込んでほしいと。でも途中から気づく。彼らは今もきっと、救われることのないまま、同じ社会でわたしたちとともに暮らしている。
著者が見たフィンランドの刑務所は、受刑者は必要な医療を受けられており、開放的だった。日本のように「よい受刑者を作ること」に躍起になるのではなく、「よい市民を作ること」を目標にしていた。犯罪者たちは刑期を終えると、「よい市民」として社会に戻っていく。どの国で生まれたかで、同じ犯罪者でも全く異なる刑務所で刑を受けることになるのだ。
しかし、刑務所にせよ法律にせよ、人が作ったものであり、変えることができる。刑務所のあり方は、著者のいうように、結局、わたしたち「国民がどのような刑務所を望むかによって決まってくる」のである。
運を変えることはできないが、運不運の差を埋めることはできる。同じ社会で生きる彼ら、そしてわたしたちの行く末を決めるのは、わたしたちなのだ。
のむらとしあき/1954年生まれ。日本医科大学名誉教授。精神科医。日本医科大学付属第一病院、複数の矯正施設等への勤務を経て、日本医科大学医療心理学教室教授。2020年退職。共著書に『非行精神医学』『精神療法の実践』など。
なかわきはつえ/2013年『きみはいい子』で坪田譲治文学賞を受賞。16年『世界の果てのこどもたち』で本屋大賞第3位。