気鋭の中国学者による刺激的な中国論。「中華」圏に現存する三つの政治社会(中国・香港・台湾)を対象に、時事問題を見る視点を提供している。ただし台湾の比重はやや軽く、中国と香港の対比が中心だ。
その際に活用されるのが儒教の経学(経典解釈の学術)の一つ「春秋学」だ。著者は2000年前に成立したその二つの流派、公羊学と左伝学の世界観・対外意識を使う。公羊学は強大な漢帝国のイデオロギーで、「大一統」を掲げて世界の統合をめざした。他方、左伝学は「尊王攘夷」をモットーに自衛戦略をとり、(著者によれば)のちに朱子学の教義となった。
本書はこれを「天下」(中国)対「本土」(香港)と図式化する。日本語と異なり、「本土」という中国語は当該地域それ自体を指す。香港の本土主義とは、大陸中国と同一化するのではなく、香港らしさを追求することなのだ。著者はこれを左伝学の攘夷思想に見立てる。
これに対し、北京政府の御用学者たちは公羊学的に天下システムという世界主義を声高に主張する。「『天下』という理念はあらゆる文化や民族を包含する」。著者は、彼らの見解を学術的な観点から厳しく批判する。
北京政府は儒教を尊崇して国威発揚に努めている。とはいえ世間に流布している「儒教だから中国はダメ」式の決めつけと異なり、本書の議論は学術的だ。
ただし、「香港版の『自由民権運動』」を著者が手放しで礼賛するわけではない。
香港がイギリスの植民地として外からの近代化を強いられてきた歴史と、1997年の「返還」後の変化をふまえて、今の状況があることを強調する。雑誌連載が昨年(2020年)6月末の香港国家安全法施行をはさんでいるためか、民主化デモの将来についてやや楽観的な記述も混じっている。現時点から振り返ると、事態の急速な悪化にあらためて驚きを禁じえない。
タイトルの「ユーラシア」について。近代の言説は「地中海世界から発展したヨーロッパの国際社会のモデル」で営まれてきた。これが東アジアという別の伝統をもつ地域に伝わったとき、両者の「コンフリクトの場としてのユーラシア」が誕生する。つまり、本書におけるこのことばは自然地理学の空間概念ではないので、要注意。
著者は幅広い分野の読書による知見を本書全体にちりばめているが、この簡単な紹介文では具体的に言及する余裕がない。こうしたペダンチックとも受け取られかねない叙述のありかたは、わかりやすい本の氾濫に対する著者の批判にもとづくのだろう。私も同感だ。物事を単純化して述べた本しか読まないと、その本質を理解する道は閉ざされてしまう。
本書は読者に深く考えさせる書き方をしていて咀嚼に時間がかかる。「ゴツゴツとしたところ、ガリッとしたところ」(「あとがき」)をもち、読みごたえのある本だ。
ふくしまりょうた/1981年、京都府生まれ。中国文学者。立教大学文学部准教授。2014年に『復興文化論』でサントリー学芸賞、17年に『厄介な遺産』でやまなし文学賞、19年に早稲田大学坪内逍遙大賞奨励賞を受賞。他の著書に『百年の批評』など。
こじまつよし/1962年、群馬県生まれ。東京大学文学部教授。著書に『中国思想と宗教の奔流』『義経の東アジア』などがある。