「人間の脳に性差がないわけではないが、それよりも個人差のほうが大きい」と何度繰り返しても、「男脳・女脳」というテーマで話をしてください、コメントをもらえませんか、次刊はそういうタイトルにしました……だとかいうことがうんざりするほど頻繁にあり、本当に困っていた。
一般向けというのはそういうことなのだ。真意は絶望的なまでに伝わらない。その人の立場に都合のいいように、ゆがんだ理解をされる。言葉尻を切り取られ、誤った形で科学を伝えいいかげんな理解を促す怪しからん人物だと非難される(リテラシーの低い側に問題は1ミリもないといわんばかりだ)、けれど抵抗しても残念ながら日本の人々の科学リテラシーはお世辞にも高いとは言えず、ただ私が小難しいことにこだわって文句をいう人間だという認識が広まっていくにとどまるだろう……とここまで数百ミリ秒のうちに考えがまとまり、私は抵抗の言葉を放棄させられることになる。
みなさんのいいようにお話しします。私は科学者としては「ヨゴレ」ですから、素晴らしい輝かしい男性の高級な先生方に傷をつけぬよう、私が代わりにやります。いずれ大衆が理解し得ないのなら小難しいことはもはや開示せず、演出側の意向に沿うようお話しします……。
つまり、ほとんどの方がテレビで目にする「中野先生」はゾンビもしくはすでに死んでいるのである。
性差に纏わる議論は相変わらずかまびすしい。我々は自身の心理的基盤の脆弱性から、分断と差異を求めるものだ。自身は特別な存在であるという実体のない根拠を常に必要とし、それが消失すれば忽ち下がる自己評価を補強するために必要であるがゆえに。が、時代の変化に伴い、差異がもたらす分断を乗り越え、多様性として受け入れる姿勢の有無が生存戦略として求められる重要な変数となりつつある。我々はモザイク状にできていて、完全に男、あるいは完全に女だけという特徴を持った人はほぼ存在しない。つまり、私たちは部分的には同じで、部分的には差異がある。そのことが本書では解き明かされており、共通の要素と異質な要素の双方を認識しながら、互いに多様性を尊重し合う関係を築く一助となることが期待される。
自分は専門家並みに知識がある、という自負がその人を誤らせることがある。だが本来は、自分は十全ではないことを知るために学問はある。
本書は、ジェンダーの問題で困っている人以前に、私自身にとって福音となるものかもしれない。そうあれかしと期待を込め、本書が少しでも多くの人に読まれて、世界を変える一石となるよう願っている。
Daphna Joel/イスラエル・テルアビブ大学神経科学・心理学教授。本書が初の著書。
Luba Vikhanski/サイエンス・ライター。イスラエル・ワイツマン科学研究所勤務。
なかののぶこ/1975年東京都生まれ。脳科学者、医学博士。著書に『なんで家族を続けるの?』(共著)など。