『オーラの発表会』(綿矢りさ 著)集英社

 ここにあるのは赦し、あるいは寛容の物語だ。ただし、それは奇天烈な登場人物、設定の下で進行していく。ユーモアたっぷりで、繊細さもたたえた筆致に導かれ笑ったり、違和感を覚えたりしながら読了したとき、冒頭に挙げた要素が勃然とわき上がってきた。

 主人公の片井海松子(みるこ)は、大学生になったばかり。しかし、恋愛にもおしゃれにも興味がない。かと言って映画や読書に耽溺するでもなく、趣味は枝毛切りと凧揚げ。「周りに流されず、一本筋の通ったよう」と評されるが、コミュニケーションが嫌なわけではない。誘われれば飲みに行くし、話を広げるツールにすべく口臭から学食のメニューの匂いをかぎ分ける特訓もした。まあ、かなり変わり者として我が道を行く。

 綿矢りさは『インストール』(2001年)以来、他人との関係性に困難さを抱える女性たちを繊細に描いてきた。本作の海松子は、今までの主人公と一線を画す。なにせ幕開け早々、彼女は「将来の不安や対人関係の心配は自分には無い」と言及しているのだ。今年でデビュー20年を迎える綿矢が放つ新機軸である。

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 そんな海松子のキャンパスライフと、恋愛に至る顛末が描かれる。脇を彩るのは、おしゃれの目標と定めた人物を完璧にコピーする特殊能力を持つ友人の萌音(もね)と、大学教授である父の元教え子、小中高の元同級生という二人の恋人候補。

 萌音は完コピがばれると当然のことながら仲間からハブられるのだが、海松子はその能力を高く評価し続ける。途中でなぜ萌音がこんな性癖を持つかその病理に触れそうになるが、そちらには流れずあくまで戯画化を貫く。そして人真似を極めた先にある覚悟、明るさまで筆は及ぶ。

 戯画化は海松子にも当てはまる。いくら海松子でも周囲とのズレを感じ、「普通」ということに悩み、恋に追い詰められもする。するととんでもない力が発現する。主人公と友人をカリカチュアライズして喜劇的なドタバタが進行する中で、純化され見えてくるものがある。それは生きていることの肯定だ。萌音の性癖も個性として受容する。細やかに悩ませていたら、なかなか核心に行きつかない。

 そういえば、本書はこんなふうに始まる。日々何が起きて死ぬかわからないと怯える海松子だが、「私は生きていて当然の人間なのだと納得してごく普通に過ごしている」。これが終幕に語られる元同級生のある言葉と呼応して、命題として屹立してくる。

 そしてもう一つ。一人で生きていける海松子は、最終的にある人の手を取ることになる。一人でもいいけれど、誰かと生きていくことの自然さもそっと示してみせた。我々は決して一人ではない。こんなコロナ禍の時代だからこそ、印象に残る終幕であった。

 生きる苦しみを追ってきた作家が、本作を書いたのだと思うと感慨深い。

わたやりさ/1984年、京都府生まれ。2001年『インストール』で文藝賞を受賞。04年『蹴りたい背中』で芥川賞、12年『かわいそうだね?』で大江健三郎賞、20年『生のみ生のままで』で島清恋愛文学賞を受賞。近著に『あのころなにしてた?』など。
 

ないとうまりこ/1959年生まれ。文芸ジャーナリスト。毎日新聞の記者として書評をはじめ様々な記事を手掛け、退職後はフリーに。

オーラの発表会

綿矢 りさ

集英社

2021年8月26日 発売