『赤い魚の夫婦』(グアダルーペ・ネッテル 著/宇野和美 訳)現代書館

 メキシコ出身の作家の初の日本語翻訳ということで、未知のエキゾチシズムを期待して読み始めたのだが、そんな単純な期待はすぐに覆され、社会で生きる人間の、いくつもの生々しい現実が突き刺さった。といっても、メッセージや主張が直接描かれるわけではなく、日常の隙間にふと現れる暗い裂け目が徐々に広がり、無意識だった部分を刺激されたまま裂け目に放り出される。常軌を逸脱していく登場人物の心理が冷徹かつユニークに描かれ、奇妙なゾーンに誘われるのだ。

 収載されている5つの短編を貫くのは、観賞魚やゴキブリ、猫、菌類、蛇といった多様な生物と、共存する人間の生き様が対照化されている点。

 表題作の冒頭の短編は、子どもを初めて授かった夫婦の変化が、彼らが飼っている観賞魚のベタと照らし合わせながら語られる。ベタは闘魚で、一つの水槽に入れておくと、オスとメスであっても攻撃的になることがあるという。一方、人間の夫婦は、妊娠、出産、育児を経て、意識の違いが次第に大きくなり、相手を責め始める。現代的な苛立ちを抱えて諍う夫婦と、水槽の中の闘魚のベタとが重ねられるのだ。

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 興味深いのが、「オブローモフ」という名を付けたベタについて、「わたしたちのことを憐れんでいたに違いない」「彼らはわたしたちが直視できない水面下の感情や行動を映しだす鏡のようだ」と妻が思う点である。動物に対する特殊な敬意が込められているが、この本全体を象徴する感覚でもある。

「ゴミ箱の中の戦争」は、両親の不仲が原因で伯母の家に預けられたメキシコの少年が主人公。住み込みの家政婦のいる伯母の家で突如繁殖したゴキブリを駆除しようと、皆やっきになる。それは「全員がよってたかって追いまわした。そこにはもはや階級差はなく、種と種のあいだの闘争あるのみだった」と、社会風刺的に表現されている。害虫駆除に駆り立てられる様子に、人が潜在的に持っている暴力性を浮き彫りにした。

「菌類」は、人間と細菌との共存がモチーフ。不倫相手と共有することになった感染症に「かゆみは不快だったが、愛に代わる心の慰めとなった。かゆみのおかげで自分のからだにラヴァルを感じ、彼に今起きていることをつぶさに想像できた。そこでわたしは、菌をそのままにしよう、家庭菜園で野菜を育てるように世話していこうと決心した」とまで思ってしまう件(くだり)は思わず笑ってしまったが、恋愛のエネルギーがもたらす狂気を、ユーモア含みで審(つまび)らかにした文章の冴えに瞠目した。

 人間の執着のめぐりに生物の死がある。言葉を持たない生物たちは、無言のまま人間を見据えるもう一つの目として、新しい気づきを促すのだ。それは命についての新鮮で、どこか爽快な再認識でもあると思う。

Guadalupe Nettel/1973年、メキシコシティ生まれ。現代メキシコを代表する作家。13年に本書でリベラ・デル・ドゥエロ国際短編小説賞を、14年に小説『冬のあとで』でエラルデ小説賞を受賞。17年よりメキシコ国立自治大学発行の「メキシコ大学雑誌」編集長を務める。
 

ひがしなおこ/1963年、広島県生まれ。歌人・小説家。歌集に『春原さんのリコーダー』、著書に『階段にパレット』など。

赤い魚の夫婦

グアダルーペ・ネッテル ,宇野和美

現代書館

2021年8月20日 発売