米国にさほど関心がない人でもトランプ前大統領がメキシコ国境壁の建設に執着したことは知っているだろう。数年前に中南米から米国を目指した移民集団キャラバンのことも思い出すかもしれない。
「密入国が許されないのは当然だ」「不法移民が1000万人以上もいることこそ異常だ」「トランプ氏の強硬姿勢は全く正しい」。もしそうした考えが頭をよぎったのであれば、是非とも本書を読んで欲しい。負の記号としてのみ認識していたそうした移民や難民の捉え方が変わるはずだ。いや、世界の見え方そのものが変わるはずだ。
確かにトランプ時代の4年間、国境壁をめぐる報道は大量にあった。正直、私自身も本書を最初に手にしたときは既視感と食傷感を覚えた。
しかし、就寝前に読み始めたところ、あまりの面白さに、明け方までに一気に読破してしまった。この数年間に目にした米国ルポとしても出色だ。
著者は朝日新聞のワシントン特派員などを歴任し、今回の取材で名誉ある2019年度のボーン・上田記念国際記者賞を受賞している。
メキシコとの国境付近の取材で感じた憤りや疑問に徹底的にこだわり、計約3ヶ月をかけ、ボートや馬をも利用し、約1万5000キロを往来。約300人に取材を重ねた。ジャーナリストとしての胆力と行動力に脱帽する。
移民支援団体と自警団の攻防。米国人相手の廉価な歯科が密集する国境沿いのメキシコの町。大規模な越境通学にも寛容な米ニューメキシコ州の公立学校。麻薬組織とコヨーテ(手引き人)の暗躍。高度にハイテク化する警備技術。国境壁建設を「利用」する人びとの思惑……。本書の前半部分だけですでに読み応え十分だ。
しかし、著者の探究心はそこで終わらない。移民たちが逃れてきた中米の国々の実情を理解すべく、後半部分では世界有数の凶悪地帯にも足を運ぶ。特に著者にとっての思い出の地エルサルバドルがマラス(ギャング)に支配された経緯を描いた第4章は圧巻。殺人が蔓延する彼の地の絶望的な現実に米国の過去の施策が暗い影を落としていることを痛感する。
驚くべきことに、アフリカやアジア、カリブ海から南米に入り、そこから米国を目指す移民も増加しているようだ。その際のルートの一つになっているのがダリエンギャップという南米コロンビアと中米パナマを結ぶ危険極まりない密林地帯。その界隈の事情を活写した最終章はまさに手に汗握る展開となっている。
著者の目線に少しでも近づくべく、私はグーグルマップやユーチューブなどで場所や現地の様子を確認しながら本書を読み進めた。そうすることで文字情報との相乗効果が増した。皆さんにもお勧めしたい。それほど価値ある一冊だ。
むらやまゆうすけ/1971年、東京都生まれ。ジャーナリスト。立教大学卒業後、三菱商事株式会社勤務ののち、2001年朝日新聞社入社。ワシントン特派員、ドバイ支局長、GLOBE編集部員等を経て昨年退社。
わたなべやすし/1967年、北海道生まれ。専門は米国研究、文化政策論で慶応義塾大学SFC教授。近著に『白人ナショナリズム』。