亡き父があきらめた夢を追って、日本からアメリカの大学に留学してきた尚美は、成績は優秀だが、英語は通じず、学内の食堂の料理は口に合わず、寮のルームメイトにはなめられている。留学資金を援助してくれた顔も知らぬ謎の女性・久子さんへの手紙は、ついつい作り話ばかりになってしまう。そんな尚美は学生が持ち回りで調理する「サード・キッチン」なる食堂に出会う。そこは、人種やジェンダーがマイノリティーに属する学生にとっての安全地帯だ。多様な背景を抱えた仲間たちに囲まれ、ワールドワイドな料理を振る舞われる。孤独が癒される美味しい物語……と思ったら、しかし大間違いなのである。
なにしろ、「サード・キッチン」の仲間と交流するうちに、これまで差別を受ける被害者側だったはずの尚美もまた、角度を変えてみれば、差別をする加害者でもあった、と判明していくくだりが圧巻なのだ。日本の侵略の歴史に関してあまり学ぶ機会がなかった尚美は、韓国人の同級生を悪気なく傷つけてしまう。無知もまた差別である、と彼女は身を以て知る。それで深く落ち込んでいたら、今度はなぐさめてくれたクィアの女性を不用意な発言で抑圧してしまう。学ぼうとする姿勢はあるのに、次から次へと、自分でも気付かなかった偏見が露呈してしまい、立ちすくむ尚美。そんな主人公を、読者は決して突き放せないはずだ。
なぜなら、あらゆる人種が集うこの大学では、尚美だけが恥をかき、無自覚に誰かを傷つけているわけではないからだ。登場人物の誰もが二つの側面を持っていて、ある場所では特権階級なのに、ある場所ではマイノリティーだったりする。その描き方はどこまでも誠実だ。「多様性」とは、ありのままで振舞っていても誰もが笑っていられる理想郷などではない。全員が自分の差別感情に向き合い、自己嫌悪に陥りながら、学ぶことをやめてはいけない、ハードな状態なのだ、と本書はこれ以上ないほどの説得力を持って教えてくれる。友人たちとの温かでホッと休まる時間、その直後に訪れる沼のような反省が交互に描かれるから、一瞬も気を抜くことはできない。終盤で判明する久子さんの正体にも驚かされる。尚美はあらゆるバリエーションの失敗の末、傷だらけになりながら、他者への本物の想像力を身につけていく。そして現れる伝えることをあきらめなかった人間だけが到達できる見晴らしの良い景色。そのスパイスが複雑にからまりあうような味わい豊かなラストに、私は尚美のこれからを祝福せずにはいられなくなった。そして、ジクジクする恥ずかしさとともに、自分の無知や偏見とまっこうから向き合う勇気を、彼女と一緒につかむことができたのである。分断が加速する今の日本で、世代を超えて読まれるべき傑作青春小説だ。
しらおはるか/神奈川県生まれ、東京育ち。2017年「アクロス・ザ・ユニバース」で「女による女のためのR-18文学賞」大賞、読者賞をダブル受賞。18年、受賞作を収録した連作短編集『いまは、空しか見えない』でデビュー。
ゆずきあさこ/1981年生まれ。2010年『終点のあの子』でデビュー。15年、『ナイルパーチの女子会』で山本周五郎賞を受賞。