世界中の医師に衝撃を与えたある臨床試験の結果
また、糖尿病でも同じようなことがありました。血糖値をしっかり下げたほうが、三大合併症(神経、眼、腎臓)や心筋梗塞、脳卒中を予防でき、長生きできると考えられてきたのです。ところが、08年に報告された欧米での臨床試験の結果は、世界中の医師に衝撃を与えました。血糖値を緩やかに下げたグループよりも厳格に下げたグループのほうが、死亡率が約2割も高かったのです。そのため、この試験は予定された期間を待たず途中で中止されました。こうした結果をふまえて、最近では血糖値の下げ過ぎに注意して治療する医師が増えています(N Engl J Med. 2008 Jun 12;358(24):2545-59.)。
このように、人間の身体は複雑でわからないことがたくさんあり、頭で考えた通りにはならないことが多いのです。たとえば、細胞や動物の実験で「がんが消滅した」といった研究結果が新聞などで報じられることがありますが、生身の人間で試してみないと同じ効果が得られるかどうかわかりません。ですから私は、人間を対象にした重要な研究の結果をあまり伝えず、細胞や動物の成果を喜んで伝える新聞の医療報道に疑問を持っています。
同じ「臨床研究」でも証拠力の強さは全く違う。もっとも信頼性が高いのは……
いずれにせよ、EBMというのはまさに「論より証拠」の考え方だと言えるのです。医学におけるエビデンスは、実際の人を対象にした「臨床研究」によって成り立っています。そして、その証拠力(信用性)の強さは、どんな臨床研究に基づくかによってレベルが決められています(国立がん研究センター がん情報サービス「ガイドラインとは」など参照)。
もっとも信頼性の高い臨床研究とされるのが「ランダム化(無作為化)比較試験(RCT)」と呼ばれる研究方法です。たとえば新薬の効果を調べる場合、何百人という人を対象に本当の薬(実薬)と、それに似せた偽薬(あるいは従来の薬)を飲むグループをくじ引きのような方法で無作為に分けます。
なぜ無作為に分けるかというと、そうすれば統計学的にグループ間で偏りがなくなり、公平に効果を比較できるようになるからです。もし新薬グループのほうに体力のある人を集め、偽薬(あるいは従来の薬)グループに体が弱っている人を集めれば、新薬のほうに有利な結果が出るでしょう。こうした作為が入り込まないようにするためにも、「無作為化」が大切なのです。
そして、臨床試験に参加した人たちを何ヵ月、何年、何十年と追い続けて、両グループの結果を統計学的に比較します。たとえば高血圧薬の場合、たんに血圧が下がればOKというわけではありません。結果として薬を飲んだグループのほうが、偽薬(あるいは従来の薬)を飲んだグループよりも心筋梗塞や脳卒中が減り、長生きできたかどうかを証明することが必要となります。そして、「システマティックレビュー」や「メタアナリシス」と呼ばれる複数の臨床試験を統合した研究で、間違いなく新薬を飲んだほうが病気は減り、長生きできるという結論が出てはじめて、多くの専門家が認めるエビデンスになるのです。