「やくざのけんか」だったのか?
この事件で奇妙に思えるのは、工事の発注元である建設会社が全く無関係を通していること。
「『あれは建設業界の縄張りというんじゃないでしょう。一種のゴロツキ、やくざの……』『やくざのけんかですよ』『そういうことをはっきりさせて、建設業者のけんかではないのだ。やくざの縄張り争いだということを弁明しなければいかんと思うんですよ』」。1971年に出版された土木工業協会・電力建設業協会編「日本土木建設業史」に収録された座談会で、建設業界の代表たちは鶴見騒擾事件のことをこう言い切っている。
清水組で東力の火力発電所建設工事を担当したのは内山熊八郎・工事長(のち同社専務)だった。彼の伝記「内山熊八郎」(1939年)では、事件のことを「もちろん、清水組や内山君はこの出入りには直接の関係はない」と断言。
「清水建設百五十年」(1954年)も「内山工事長は事件を丸く収めるように努力したが、ますます拡大するばかりで、後には清水組と間組の間の問題であるというふうな変なデマが飛ぶようになった」と述べた。
「日本土木建設業史」の末尾に「【注2】鶴見騒擾事件」という長い注釈がある。事件の背景から経緯を説明した後、こう述べる。
「鶴見騒擾事件顛末書」という薄いガリ版刷りのパンフレットがある。これは清水組の資料で、青山組がとった一連の行動は、「終始清水組(内山熊八郎等)ノ指示命令等ニ基キ進退シタルモノナレバ之ガ諸般ノ責任ハ最後迄(まで)清水組(少ナク共幹部内山熊八郎等)ニ於テ負担スベキモノト思考ス」とあって、最後に清水組下請け業者6人が証人として記名捺印したものである。
何のことはない。内山ら清水組幹部が事件に関連していたことを自社の文書で認めていたことになる。同書はさらに続ける。
「先に手を出したらいかん。絶対に先に手を出すな」
「清水組としては、電力戦の渦中にある施主・東京電力(東力)の矢のような催促もあって、たとえ三谷秀組の嫌がらせがあっても、工事を進捗せざるを得ない状態に次第に追い詰められていった。施主としても、東京電燈の千住火力発電所(これも清水組の施工であった)に対抗する手段として、本工事竣工が待ち望まれていたのである」
中田峯四郎との交渉がこじれ、パンフレットによれば、内山はこう言ったという。
「よし、向こうで(工事妨害の)準備をするとなれば、こっちもやむを得ないからやるまでだ。ただし、先に手を出したらいかん。絶対に先に手を出すな」
青山(美代吉)に「先方は卑怯な野郎だから、斬り込んで来るかもしれない。それに応戦する準備をしてもよろしいか」と聞かれると「よろしい。十分に準備をしておけ」と答えて指図を与えたという。
「内山熊八郎」は「三谷(秀)側にすれば、青山の背後には清水組がおり、内山の使嗾(しそう=指図して仕向ける)があると考えるのは当然である」と書いているが、実際もその通りだったわけだ。