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連載大正事件史

裁判長の前には血痕の付着した凶器50~60本が…「日本最大の喧嘩」をめぐる裁判で起こったこと

裁判長の前には血痕の付着した凶器50~60本が…「日本最大の喧嘩」をめぐる裁判で起こったこと

鶴見騒擾事件#2

2022/11/06

「われわれの方では税金もだいぶかかりました。まあ、あれが最後でしょうね」

 鹿島建設の社長だった鹿島精一は同書の中で「請負と侠客」の見出しでこう書いている。

「昔はご承知の通り、侠客というものがたくさんいましたので、これを何とかして正業に就かせて、これらを撲滅するために土木工事の請負人に侠客連中を使うことにしたのであります。それがために、明治の初年あたりは、この土木請負人の間にはずいぶんけんかがあり、人を斬ったり、なぐったりすることが明治の中葉あたりまで続いておりました。畢竟(究極)侠客のやるようなものの変体であったから、ずいぶん命知らずの縄張り争いのようなことが土木界では多かったのであります」

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鶴見騒擾事件と資本主義に揺れた大正期の建設業界

現場一帯の東京湾には広大な埋め立て地が広がり、やがて京浜工業地帯となる(「ヤクザ・流血の抗争史」より)

 こうした風土が大正末期にもまだ残っていたのではないか。「日本土木建設業史」は「鶴見騒擾事件」の最後に書いている。

 急速に発展する資本主義化という背景に対して、建設業界には縄張り意識とか念達とかを重用する、極めて封建的な一面を強く残しており、(事件は)この両者がうまく回転しないままに引き起こされたものである。また、建設業界も大手業者と地元業者、元請けと下請け業者という具合に、相反する勢力がぶつかり合ったという意味で象徴的であった。勝負は明らかであり、それは時代の流れとでもいうべきものであった。工事の竣工は昭和2(1927)年3月15日であった。この時、大正という時代は終わり、同時に建設業界の古い因習も徐々に姿を消しつつあった。鶴見騒擾事件は、大正期の建設業界を語る最も典型的な挿話であるように思われるのである。

【参考文献】
▽「神奈川県警察史上巻」 1970年
▽重富義男「集団的暴力犯罪の原因:主として神奈川県下に於ける事犯に関する若干の考察」=「司法報告書集 第19 5集」(司法省調査課、1935年)=所収
▽サトウマコト「鶴見騒擾事件百科」 ニイサンマルクラブ 1999年
▽青山光二「闘いの構図」 新潮社 1979年
▽木下半治「日本国家主義運動史 上」 岩崎書店 1952年
▽土持保・太田通共著「建設業物語」 彰国社 1957年
▽土木工業協会・電力建設業協会編「日本土木建設業史」 技報堂 1971年
▽「内山熊八郎」 内山熊八郎伝記刊行会 1939年
▽「清水建設百五十年」 1954年
▽「関東の電気事業と東京電力」 東京電力 2002年
▽「間組百年史1889―1945」 1989年
▽鹿島精一・宮長平作・島田藤共著「日本の土木建築を語る」 山水社 1942年

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