『情熱大陸』(MBS・TBS系)や『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)など、数々のドキュメンタリー番組を手掛けてきた、映像作家の大島新氏。そんな彼が『ドキュメンタリーの舞台裏』(文藝春秋)を上梓した。
ここでは、同書より一部を抜粋して紹介。大島氏は、フジテレビ時代に“過剰演出”を経験。複雑な思いを抱きながら番組を制作していたのだが——。(全2回の1回目/2回目に続く)
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なぜフジテレビを辞めたのか
時間を少し巻き戻します。入社4年目、1998年に、ゴールデンタイムの情報バラエティの仕事をするようになってから、テレビの仕事そのものはともかく、自分が「テレビ局の社員」でいることは難しいかも知れないな、という思いが日に日に強くなっていきました。その理由は、私が世の中の少数派である、ということに尽きます。好きなことや興味があることはマイナーなジャンルが多く、大ヒットドラマやバラエティには、ほとんど関心が持てませんでした。(付け加えると、選挙で自分が投票した人は勝ったためしがありませんでした)
マスメディアであり、営利企業でもある民放テレビ局は、多くの人に観てもらわなければ商売あがったりです。高給を得ている社員ならばなおさら、会社の売り上げにも貢献しなければなりません。それならば、深夜のドキュメンタリーよりも、ゴールデンの情報バラエティで役に立つことが重要です。
担当した番組が週刊誌に「やらせ疑惑」と取り上げられる
私が担当した金曜20時放送の情報バラエティ番組『ウォンテッド‼』(1998年4月~1999年3月)には、苦い思い出があります。同番組はもともと1週間の出来事を振り返る生放送の情報番組として始まったのですが、視聴率が振るわなかったために企画内容が変わり、途中から生放送ではなく収録の番組になりました。
そしてある時期から、世の中の様々なダメな人や悪い人を取材し、その本人をスタジオに呼んで(顔はわからないようにすりガラス越しの出演)、ご意見番の芸能人が叱りつける、という内容に変わっていきました。企画の内容は番組の上層部が決めていて、私たち若手スタッフはその方針に従うだけでしたが、おそらく視聴率対策だったのだと思います。
今の基準ならば、コンプライアンス的に問題あり、とされてもおかしくないような番組でした。やがて番組は過激化していき、週刊誌には「やらせ疑惑」の記事が載りました。スタジオ収録はフジテレビ社内班が担当していましたが、VTRは外部の制作会社が取材して納品することもありました。
局のプロデューサーの要望に応えるために、取材現場で無理が生じた可能性は否定できません。バラエティの基準ならば「演出」の範囲に入る手法だったのかも知れませんが、私には少なくとも「誇張」に思えましたし、ものによっては「捏造」に近い表現もあったのではないかと思います。