――また、そのとき声が掛かったラジオ番組は、かなり朝早い時間帯ですよね。今までのテレビのお仕事とはずいぶん違う時間帯かと。
生島:正直、ラジオのオファーがきたときは、「朝5時って誰が聴くの?」って思いましたよ。でも、それ以上に借金がありましたから。社会的責任として、まずは払わないといけない。もう、来る仕事はなんでもやろう。カッコつけてられないって思ったんです。だから通販だからとか、テレビに比べてラジオのギャラが安いとかどうでもいい。あれだけテレビのレギュラー番組を持ってた人がって言われても馬耳東風。そんなことより、なりふり構わず自分の社員と家族を守ろうって腹を括ってね。ある意味、開き直ったというか。
――それは、途中からそう気持ちが切り替わっていかれたのでしょうか?
生島:もうね、どこ行っても「生島さん、テレビに出なくなった」「全然見ない」って、もう何年も何年も、ずーっと言われ続けるわけですよ(笑)。あまりにも言われるから、「もういいよ、分かったよ」って(笑)。「はい、もうオファー来ないんですよ~」って開き直ってからわりと気が楽になりましたね。
やっぱり、人気が落ちたら落ちたで、自分のニーズが無くなってきているわけですから。もちろん、ちょっと悔しい思いはありましたよ。テレビの仕事も、後半はレントゲンの現場に呼ばれて、「今日は胃カメラ飲みにいきますね」とかそんな感じでしたけど。でも、ある段階からカッコつけなくなった。ダメならダメで、見下す奴はそういうやつだって思えばいいって。それに、生きていくためには、やっぱり見栄をはっちゃいけないなって思いますね。
転機になったのは200人のオーディションで見つけたあのタレント
――借金を返済されていくなかで、優木まおみさんが事務所に入られたそうですね。
生島:今から20年前、彼女が21、2歳くらいの学生でしたね。事務所ができて間もなくして、うちでもタレントを探していくことになったんです。テレビ局の人たちを集めてオーディションをして、200人くらい参加したのかな。その中で、一番面白かったのがまおみちゃんでした。
――目を引いたんですね。
生島:パッと見たときの印象が強かった。テレビ局の人からすごいキツイ質問をされて、「うわ、なんでこんなことまで聞くの?」って質問に対しても、ニコニコ答えてましたから。目力がありましたね。
――事務所に入られて、次第にブレイクされていった感じでしょうか?
生島:確か、いきなり白子のりのCMが決まったんですよ。コマーシャルが決まるってすごいことだから、「これから、まおみでいくんじゃないか」ってみんなで話をしたのは覚えてます。