気づけば10億の借金を背負いながら、徐々にテレビの舞台から姿を消していったと語ります。巨額借金をどのように返済したのでしょうか。どん底で救ってくれた人物は誰だったのでしょうか。そして借金は完済できたのでしょうか?(全2回のうち2回目/#1を読む)

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毎月の返済は400万円とか500万円。多い時で700万円支払ってました

――徐々に増えていった借金は10億円になったそうですが、どのように返済されていかれたのでしょうか?

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生島:マンションとか不動産を売却して、入って来たお金を返済に回したり。仕事で稼いでは、毎月返済にあてていきましたね。

©文藝春秋 撮影/鈴木七絵

――月々いくらくらい返済されていらっしゃったのでしょうか?

生島:確か、毎月400万とか500万。多いときは600万とか700万ですね。サラリーマンの年収とか、それ以上ですよね。利子返済の管理は弟に任せていたので、自分でもよく把握してなかったけど、今よりは利率が高かったんじゃないかな。それ以外に子どもの学費とか、事務所の給料も滞りなく払い続けて。自分でもよくやりくりしたなって思いますよ。

――しかし、独立されて10年過ぎたあたりから、徐々にテレビに出る機会も減っていかれたような……。

生島:それまで、ほとんど毎日テレビに出ていたんですが、だんだん自分が担当する番組も終わっていきました。前は、番組が終わっても次の番組が決まっていることが大半でしたが、それも無くなってきて。

©文藝春秋 撮影/鈴木七絵

――テレビの仕事から、徐々にラジオとか通販番組、地方局の番組にシフトされていかれたとか。

生島:当時はそういう流れって、都落ちみたいなイメージを持たれる方もいらっしゃったと思うんですよ。人によっては抵抗が強くて、そういった仕事を受けないと考える方もいて。

 でも、僕は特に抵抗感も無かったですね。通販は通販で、一つのジャンルとして確立されていますし。確かに、バラエティーだ、報道番組だ、ってキー局で華やかにやっている方が、放送マンとして意識も高いかもしれないですけど。僕は仕事に貴賤はないと思っていて。

タクシーに乗って言われた“気持ちが沈んじゃった”ひとこと

――TBS入局当時はラジオからスタートされましたが、今度はテレビからラジオに戻ってしまったような、そんなお気持ちはありましたか?

生島:テレビの出番がスローダウンしていくのを感じて、一抹の寂しさは確かにありましたよね。実際、数年間は悩みながら仕事をしていましたし。タクシーに乗っても、「最近見ませんね」って運転手の方からミラー越しに言われるわけですよ。あー、俺も終わったなって。この先どうなるのかなって気持ちが沈んじゃって。