文春オンライン

2022/11/15

顔腫らし、流血しながら電車に

 私は顔面付近を、相撲の張り手のように平手打ちされ、思わず尻もちです。今度はキック。立ち上がると再び、平手打ち……。このパターンが正確に繰り返され、背後に壁が近づいてきたところで、最初は近くで呆然と見ていた打撃コーチの島谷(金二)さんが止めに入ってくれたのです。「監督、これ以上やってしまうと……」とか何とか言っていたと思います。確か。

 気付けば、私はホームベース付近から三塁線方向へ、実に50メートルほども後ずさりしていました。後にも先にも、星野さんに受けた“指導”では質量共にナンバーワンでした。

 ボクサーでも、これだけ殴り続ければ酸欠状態でしょう。星野さんは肩で息をしながら「ナゴヤ球場に行ってバット取ってこい!」。そして返す刀で、そばにいた寮のお世話係のおばちゃんに「タケシにタクシーチケットは渡すなよ!」とも言いました。

星野仙一氏 ©文藝春秋

 私は顔を腫らし、流血しながらも自分のバットが置いてあるナゴヤ球場へ電車で向かいました。ちょうど2軍は試合中で、みんな「どうしたんだ?」と心配してくれましたが、説明すると長くなるので、とにかく早く戻ろうと何も言わずにその場を立ち去ったのです。

折れないはずのマスコットバットが…

 寮に帰ると、既に星野さんの姿はありませんでした。立浪が一人、ちょうど打撃練習を終えた後でした。そして、こう言っていました。

「僕も部屋にバットを置いていなかったから(星野さんに怒られるのではないかと)焦りましたよ」

 立浪の傍らには折れたマスコットバットが2本、転がっていました。重量があるマスコットバットが折れるなんてことは、相当なパワーを持っている外国人選手でも滅多にありません。しかも立浪が現役生活で放った安打は通算2480本、新人時代からバットの芯で捉えるテクニックは卓越していました。そんな巧打者が平常心でいられず手元が狂ってしまうほど、練習を見守っていた星野さんには迫力があったのだと、私は自分がパニクってウソをついてしまったことも妙に納得できたのです。

中村武志氏 ©文藝春秋

 この件があってから、私は2005年に引退するまでの18年近く、自分のバットやミットは肌身離さず持つようになりました。その結果として、より道具を大切にするようになりましたし、常に道具を携帯することが技術の向上につながることを選手、コーチ時代を通じ、後輩たちに伝えることにもなりました。

 星野さんがそこまで考えていたかどうかは定かではありません。ただ、星野さんが本気で怒ってくれた時は自分のふがいなさや至らなさを気付かされ、成長につながることが多かったのもまた事実なのです。

 次回はそんな星野さんの熱さの裏に、実は意外な冷静さがあったことをお話ししたいと思います。

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