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 たとえば「女性は話が長い」と言った森喜朗はその場では絶対にウケると考えていたのだろう。会見で追及されると記者に「面白おかしくしたいのか」と言ったが、そもそも面白おかしくしたいのは森喜朗がやってきた手口なのである。「ガハハ」で周囲を共犯関係にしてきた。それを五輪組織委トップという立場でもやったから世界が注視した。半径10メートル以内の座持ちの良さで成りあがってきたおじさんの限界である。そんな人物に五輪の舵取りを相変わらず期待したガハハ社会の敗北でもあった。

 ガハハおじさんの杜撰さと酷さを、ある種の隙や愛嬌と感じる人もいるだろう。それが「実際に会ってみたらいい人だった」と思えるマジックである。

ガハハおじさんは「閉鎖性」とセット

 でも、権力を持つ人間が中心にいる半径10メートル以内とは「一部の人たちだけが利益をシェアしてる空間」とも言い換えができる。そこで交わされる約束やお願いも一部の人たちのものだけだ。ガハハおじさんは閉鎖性とセット。密集、密接、密閉という濃密な空間でこそ力を発揮する、昭和からの男社会のいびつさが浮かんでくる。

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政界きっての「ガハハおじさん」である森喜朗(89) ©文藝春秋

 ガハハおじさんは、怖さも併せ持つ。

 森喜朗氏が五輪組織委会長を辞任したときの記事を振り返ってみよう。ある理事は森氏の理事会での態度について、

《「何をお前は言ってるんだ、と言わんばかりの威圧的な雰囲気でした。その後、理事会で異論を言う人はいなくなったように思う」と振り返った。》(スポーツ報知・2021年2月12日)

 記事のタイトルは『「組織委員会」は名ばかりだった「何をお前は言っているんだ」意見一蹴…森会長辞任の舞台裏』である。

 異を唱える人には上から敵意をむき出しする。ガハハおじさんの半径10メートルは決して楽しいわけではないことがわかる。