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北朝鮮のプロレスリングで猪木は…日本からは分からない「プロレス外交」現地で起こったこと

北朝鮮のプロレスリングで猪木は…日本からは分からない「プロレス外交」現地で起こったこと

2022/12/29
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「猪木さんも張氏も、スピーチでは金正恩元帥について触れていた。北朝鮮では本来なら厳粛に、心して聴くべきところ。それが会場では、バンナのユーモアが勝っていた。北朝鮮の人民は、こんな場面でも笑うときは笑うんだなと改めて思いました。北朝鮮では非日常のプロレスを見て、みんなリラックスできたんだと思います」

 いまだ現役のバンナは、母国フランスの総合格闘技で活躍している。猪木さんの訃報を受けた際にも自身のインスタグラムを更新。猪木さんのトレードマークである赤いマフラーを仲間と巻いた写真とともに「彼と一緒に多くのことをした。尊敬している。安らかに眠ってほしい」と猪木さんの冥福を祈っている。

2014年夏、北朝鮮の平壌で開催されたプロレス大会でのアントニオ猪木さん

なぜ、猪木さんは北朝鮮に立つようになったのか

 猪木さんは、師匠の力道山が北朝鮮・咸鏡南道(ハムギョンナムド)出身だった縁で、早くから訪朝を繰り返した。1995年4月には、平壌のメーデースタジアムで「平和のための平壌国際体育・文化祝典」を開催。2日間に渡って新日本プロレスの選手による試合を行い、自身もリック・フレアーと1本勝負で勝利し19万人の観客を沸かせた。

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 その後、高額な運営費と行き詰まる政治の両面から、実現に時間がかかりながら、何度も平壌でのプロレス大会を画策。そして30回目の訪朝となる2014年8月、ようやく平壌の柳京鄭周永(リュギョン・チョン・ジュヨン)体育館で2日間の開催にこぎつけたのだった。

 大会のメインは2日目。日本からのツアー客約50人、日本のメディア約30人も訪れ、在外公館職員、平壌市民約1万5000人も含め会場は超満員だった。

 ただ、「北朝鮮側の観客は、アリーナにいる3分の1が富裕層っぽい人たち。スタンドの多くは、動員された大学生だった」と、男性は語る。そんな背景も手伝い、例によってアメリカを「宿敵」扱いする現地だったが、こんな光景もあったという。

好意的に受け止められたサップの健闘

「アメリカ人のボブ・サップが澤田敦士と派手なパフォーマンスでぶつかり合った試合でも、観客は笑顔でサップの健闘を称えていた。会場は北朝鮮とは思えない、純粋な笑顔で溢れ、和やかな雰囲気に包まれていて、猪木さんの目指した『スポーツを通じた平和の実現』がそこにあったように思います」(男性)

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