スパイクの紐をきつく締めすぎたときに感じる窮屈な痛みとは、明らかに違うものだった。経験のない違和感、痛みだった。
「スパイクのなかで出血しているんじゃないか」
そう思い、ピッチ上でスパイクを脱ぎ、ドクターに見てもらった。血はおろか、裂傷などの傷もない。
プレーを再開したい、はやる気持ちはあった。しかし別の想いが沸き立った。
「これはまずい。このまま自分がプレーをつづけて一瞬でも動けなくなれば、勝敗を左右するような大きなミスになりかねない。それだけは絶対にできない」
ほんの少しの時間の猶予が欲しかった。
イナの逆転弾が決まっていたので、ゲームを止めても不利にはならず、むしろ、少しの時間稼ぎになるとも考えた。左足をチェックしたドクターは、ピッチ上の応急措置だけでは難しいと判断し、担架を要求。私はピッチを出た。
「テーピングを入念に巻けば動けるかもしれない」
即座に復帰しようとした。できると信じていた。
だが、ベンチを見ると、すでにトルシエ監督は、アップしていたツネ(宮本恒靖)を呼び、指示を出していた。
「ここで交代なのか」
そう心の声が漏れた。
「いったいなんだったんだ?」「なぜあんなにもおかしな感覚になったんだ」
そのときは、交代についてあれこれ考える余裕はなかった。 今はチームを応援するときだ。アイシングしながら、ただただ願うのみだった。
試合は75分、日本のラインコントロールを見事に攻略したベルギーに同点のゴールを許してしまい、2対2で幕を閉じる。
日本としては課題も残る内容だったが、歴史的な勝ち点1を初戦で獲得できた。
「勝ち点1が取れてよかった」と素直にそう思った。
試合後も、しびれと痛みの原因はわからなかった。アイシングをした足を見ると、大きな傷や腫れはなかった。
ただ、足の内側、親指の付け根付近から踵のほうに向かって、等間隔にスパイクを受けたアザが浮き上がっていた。
「いったいなんだったんだ?」
「なぜあんなにもおかしな感覚になったんだ」
スタジアムを出るときには足のしびれもだいぶ治まり、気持ち悪さは残りながらも、
「まだワールドカップは始まったばかりだ。次の試合がある」
と頭を切り替えた。当然、戦線を離脱するイメージなどは微塵もなかった。
「6月9日のロシア戦に出場する」
気持ちは変わらなかった。
翌日、ベルギー戦に出場したメンバーはリカバリーメニューだった。