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「昔っから吉本にはアイドル路線ってのがあるんですよ。結局は二番煎じなんですけどね。Winkが出てきたら、すぐあとにポピンズという女性アイドルグループをつくって。ぜんぜん売れませんでしたけど。光GENJIが流行ったら、今度はMAMっていうローラースケートを履いた男3人組が出てきたり。彼らも成功まではせんかったけどな」

 スキップとたちくらみも、それとは正反対の道を突き進んでいた。強面(こわもて)で、ダサく、「しゃべくり」一筋。ポップ路線の芸人とは、まさに水と油だった。

千鳥の大悟(左)とノブ(吉本興業ホームページより)

大悟と哲夫を急接近させた、たわいもない出来事

 哲夫は当時、関西学院大のサッカーサークル「新月(しんげつ)」の1年後輩だった丸尾将之とコンビを組み、半年ほど経過していた。留年が決まっていた丸尾は卒業したら一般企業に就職するつもりでいた。そのため、1年間という期限付きで哲夫のツッコミ役を引き受けていた。

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 一方、西田の相方は、守一郎という珍しい名の2歳上の元DJだった。コンビ歴はすでに2年を超えていた。スキンヘッドで髭を生やし、さらに恰幅がよかったため、見た目はプロレスラーのような威圧感があった。丸尾の証言だ。

「たちくらみは、当時から、かなり完成されていました。ただ、守一郎さんは見かけの割に、めちゃくちゃ気が小さかった。西田さんと話しているときも、のまれまくっていましたから。そのライブの中では、西田さんと哲夫さんは別格の存在だったと思います。他の人たちは、かるーい感じでしたから。若い女の子にキャーキャー言われたい、みたいな。ファンの女の子にこんな差し入れをもらったとか言って喜んでいるような人たちで。でも、2人は端からそんなところは見ていませんでしたね」

 大悟と哲夫が急接近したのは、たわいもない出来事がきっかけだった。ライブの打ち合わせで、哲夫と大悟が初めて1対1で顔を合わせたときのこと。哲夫は唐突に、自分のオナラを手で包み、大悟の顔の前でパッと開いた。いわゆる「握りっ屁」だ。

 大悟は顔をしかめ、吐き捨てた。

「何しょんねん、今の時代に」

 哲夫はその返しにいたく感心した。

「ツッコミ、うま! って。普通のやつなら『何しょんねん、臭いの』で終わりですよ。でも『今の時代に』って言ってきた。まだ、そんなおもしろくないことやっとんのか、と。しょうもないんだけど、でも、あえてそれをやることのおもしろさってあるやないですか。大悟は一瞬にして、それを見抜いたんですよ」

 その日を境に、哲夫と大悟の距離は一気に縮まった。そこから大悟が「哲夫・西田」色に染まるのに時間はかからなかった。もともと人間が近かったのだ。

 哲夫は大悟に率直なアドバイスを送った。

「大悟もポップなネタをせなあかんのかな、って悩んでいて。もっと、やりたいことやっていいと思うで、っていう話をしたんです。そうしたら『メルコン』っていう変なネタをやり始めた。その頃、あいつはピン(1人)でやってたんですけど、ホワイトボードに雑誌から切り抜いてきた怪人みたいなのを張りつけて、その説明をするんです。急速にウケなくなりましたけど、僕らは腹を抱えて笑ってましたね」

 大悟は、スベっても気にしなかった。哲夫と西田が舞台袖で笑ってくれてさえいれば、それだけで安心できたし、心は満たされた。

 ピン芸人だった大悟だが意中の人がいた。それが今の相方で、高校時代の親友のノブだ。大悟に口説かれたノブは、大手電機メーカーの工場勤務を辞し、1年遅れで大阪にやってきた。