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ブチ切れるノブに「それでええねん。それがツッコミや」と…“M-1の申し子”笑い飯が若手時代の千鳥に叩き込んだ“漫才の基本”

『笑い神 M-1、その純情と狂気』より #3

2022/12/05

source : 週刊文春出版部

genre : エンタメ, 芸能, テレビ・ラジオ

 いまや年末の風物詩である「M-1グランプリ」。一夜にして富と人気を手にすることができるこのビッグイベントに、「ちゃっちゃっと優勝して、天下を獲ったるわい」と乗り込んだコンビがいる。2002年から9年連続で決勝に進出し、「ミスターM-1」「M-1の申し子」と呼ばれた笑い飯である。

 ここでは、笑い飯、千鳥、フットボールアワーなどの現役芸人やスタッフの証言をもとに、漫才とM-1の20年を活写した中村計氏のノンフィクション『笑い神 M-1、その純情と狂気』(文藝春秋)から一部を抜粋。「M-1の申し子」と呼ばれた笑い飯と、ダウンタウンの後継者とさえ言われる千鳥の出会いを紹介する。(全4回の3回目/4回目に続く

「M-1の申し子」笑い飯 ©文藝春秋

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千鳥の大悟と笑い飯の出会い

 大悟と笑い飯が出会ったのは、西武ライオンズのスーパールーキー・松坂大輔の衝撃的なデビューと、石原慎太郎の都知事選勝利に世間の耳目が集まっていた頃のことだ。岡山県内の商業高校を卒業した大悟は、芸人を志し、NSC大阪(吉本の芸人養成所)を受験したものの不合格。知人の紹介で、大阪・難波を拠点にするインディーズライブの団体に流れ着く。

 インディーズとは、個人運営に近い小規模団体のことである。事務所に所属していない芸人、あるいは事務所に所属しているが出番が少ない芸人らが集まる場所、言ってみれば、業界の「底」だった。

 そのグループには、20組前後の芸人たちが出入りしていた。その中に笑い飯を結成する以前の哲夫と、西田がいた。哲夫は「スキップ」、西田は「たちくらみ」というコンビをそれぞれ別の人と組んでいた。大悟が思い出す。

「西田さんは今より髪が長くて、黄色い丸眼鏡をかけていた。哲夫さんも、なんか……とにかく変。ダサいんですよ。2人とも年が5つくらい上だったんで、ああいう大人にはならんとこうと思ったのが最初の印象っすね」

 スキップとたちくらみは仲がよかった。彼らはメインストリートから外れている人間が持つ独特の臭みを放っていた。大悟は最初、そんな2組と努めて距離を置いていた。

「僕を紹介してくれた人のグループと、スキップ・たちくらみは仲がよくなかったんです。こっちは、ポップ目の笑いで売れようとしていた。スキップとたちくらみは、そんな僕らを小馬鹿にしているようなところがあって。だから、最初の半年くらいは遠くから見ていただけ。すっごい変な人たちだな、って」

 1990年代、大阪の芸人界では、1つの成功パターンがあった。複数人でユニットやグループを組み、歌って、踊って、さらには笑いもできる集団をつくる。ターゲットは流行に敏感な女子高生たち。つまりは、アイドル路線だ。

 その代表格で、最大の成功例が1991年に結成された吉本印天然素材だった。通称「天素(てんそ)」からはナインティナイン、雨上がり決死隊といった人気コンビが誕生している。

 そんな流れとは無縁の関西の本格的なしゃべくり漫才コンビ、メッセンジャーの黒田有(たもつ)がクセの強いだみ声で時代背景を語る。