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田舎育ちのノブは膨らんでいた期待が一瞬にして萎む

 笑いの本場、大阪で売れっ子芸人になる。田舎育ちのノブにとって、その未来像はじつに甘美だった。ところが、大悟の「職場」を訪れ、膨らんでいた期待は一瞬にして萎(しぼ)んだ。

「僕は大悟も吉本に入るんだろうなと思っていたんです。僕も吉本が好きで、それで大阪に来たので。そうしたら、最初に行ったライブが、インディーズで。ああ、俺らの主戦場は、こんなにちっちゃいんだ、と」

 吉本が所有する日本最大級の寄席小屋、NGKの向かいにドン・キホーテが入った8階建ての複合ビルがある。吉本芸人の横山ノックが大阪知事だった時代、1996年に竣工し、同ビルの4階から7階に「ワッハ上方」という上方演芸文化の保存と発展を目的とした施設をつくった。そこには300人収容のホール、資料展示室、そしてレッスンルームと呼ばれるフリースペースがいくつかあった。そのレッスンルームが、インディーズライブの主戦場だった。5、60人も客が入ればいっぱいになる廉価なレンタル部屋だった。

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©iStock.com

 笑い飯や千鳥の原点といってもいいワッハ上方は、橋下徹が知事になると、経営体制を見直され大幅に縮小された。現在は府が運営する資料館のみが残され、ホールは「よしもと漫才劇場」としてリニューアルし、吉本の若手芸人のホームグラウンドになっている。

 これから出演していくライブの規模にショックを受けたノブは、直後、さらなる衝撃を食らうことになる。大悟に「この人たちだけはおもろいから仲ようしとけ」と紹介されたのが哲夫と西田だったのだ。

「めちゃくちゃ怖かったですね。変な人過ぎて。西田さんはジョン・レノンみたいやし、哲夫さんは軍服みたいな、くるぶしまであるようなコートを着ていて。僕はダウンタウンの浜田さんみたいな、おしゃれな先輩をイメージしていたので、全然ちゃうやん、と。キモ、このおじさんたち、というのが第一印象でした。いくら『おもろいから』って言われても、見た目のインパクトが強過ぎて、キモいが勝ってました」

 大悟はこう反省する。

「僕は2人に洗脳されている最中で、少なくとも、1年くらい見てましたから。でも、大阪に出てきたばっかりで、『この人たちおもろいから』って急に言われても、そら、ついていけませんわね。思えば、僕も最初、そうでしたから」

 その日の夜、ノブは「キモいおじさん」たちからさっそく洗礼を受ける。ライブのエンディングで、大悟とノブはこれから千鳥というコンビ名で再スタートを切ると紹介された。その瞬間、あいさつ代わりに何か言わなければならないと思ったノブの目に、司会の哲夫が着ていた何の変哲もないTシャツが映った。

「何やねん、そのVネックは!」

 脈絡のないノブの絶叫に会場が一瞬、静まり返った。他の出演者もぽかんとするしかなかった。ボケもツッコミも、つまりは誰かへのパスだ。ある程度、関係性が確立した上でなければ成立し得ない。ノブのひと言は突然、乱入してきた人間が誰もいない場外に思い切りボールを蹴り出す行為に等しかった。

 ライブ後、近くのたこ焼き屋で打ち上げをし、そのまま守一郎の家へ流れた。その家は大阪湾沿いにあった。明け方、泥酔したノブは、涙を流しながら、海に向かって嘔吐を繰り返していた。