いまや年末の風物詩である「M-1グランプリ」。一夜にして富と人気を手にすることができるこのビッグイベントに、「ちゃっちゃっと優勝して、天下を獲ったるわい」と乗り込んだコンビがいる。2002年から9年連続で決勝に進出し、「ミスターM-1」「M-1の申し子」と呼ばれた笑い飯である。
ここでは、笑い飯、千鳥、フットボールアワーなどの現役芸人やスタッフの証言をもとに、漫才とM-1の20年を活写した中村計氏のノンフィクション『笑い神 M-1、その純情と狂気』(文藝春秋)から一部を抜粋してお届けする。(全2回の1回目/2回目に続く)
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関東生まれの私が漫才の世界にどっぷりと浸かる“きっかけ”
漫才の本場は関西だ。大学時代を除いて関東で生まれ育った私は、正直に告白すれば、これまでの人生でほとんどと言っていいほど漫才に触れる機会がなかったし、興味を持ったこともなかった。
そんな私が今、漫才の世界に、どっぷりと浸かっている。
きっかけは、はっきりしている。2017年夏、『週刊プレイボーイ』誌上で、オール阪神・巨人の大きい方、オール巨人による「オール巨人の劇場漫才師の流儀」という連載が始まった。私はその取材と構成を担当していて、月一回、オール巨人に話を聞く機会に恵まれた。
私は漫才に興味はなかったが、オール阪神・巨人は好きだった。心地のいい声。心地のいいリズム。心地のいい語り口。もともと落語は大好きだったのだが、オール阪神・巨人の漫才は、好きな噺家の落語を聴いているような、あるいは音楽を聴いているような感覚に近かった。
オール巨人の取材は、私にとって、初心者向けの漫才講座でもあった。漫才には、日常会話を装う「しゃべくり漫才」と、コンビニの客と店員などの役柄に入る「コント漫才」に大別される。前者はしゃべくり(会話)が中心、後者は「おれが客をやるから、おまえは店員をやって」という前振りから入るのが常道だった。
また、誘い笑い(意図的に自らが笑うこと)や、客をいらう(イジる)行為は、漫才として行儀のいいものではないということなども初めて知った。
私はオール巨人にすっかり弟子入りしたような気分になり、「漫才とは」と自問自答するようになった。そして、わが「師」が審査員を務めていたM-1グランプリの決勝をスタジオで観覧するのも毎年の恒例行事となっていく。
ここで漫才の中のもう1つの扉が開いた。M-1である。
M-1とは漫才日本一を決めるコンテストのことだ。もちろん、名前ぐらいは聞いたことがあったし、何度か観たこともあった。私の周囲にもM-1を熱っぽく語る人がたくさんいた。しかし、そんな人たちをどこか冷めた目で見ていた。いい大人が、と。たかがバラエティ番組ではないか、と。
ところが、漫才のにわか知識を携えてM-1を見始めた途端、まるで濁流に飲み込まれたかのごとく、体ごと一気に持っていかれてしまった。