1ページ目から読む
2/4ページ目

富も、名声も、人気も、一度に手に入れることができる「M-1」

 M-1は2001年に始まった。その後、2010年を最後に歴史の幕をいったん下ろしたものの、2015年に復活し、現在に至っている。

 今や、そのエントリー総数は7000組を超え、国内最大のお笑いイベントに成長した。

 創設前、漫才は衰退期の中で喘(あえ)いでいた。ところが、今や漫才は、大衆演芸のど真ん中に君臨している。それもこれもM-1の存在を抜きには語れない。

ADVERTISEMENT

 M-1に優勝すれば、一夜にして世界が変わる。富も、名声も、人気も、一度に手に入れることができる。現代の芸能界で、これ以上のシンデレラストーリーはそうはない。

 私が漫才にどっぷり浸かるようになった最大の要因。それも、このM-1であることは間違いない。

 私はことあるごとに過去のM-1を見返した。最近こそやや傾向が変わってきたものの、歴代王者を俯瞰すると、M-1は関西弁でまくし立てるしゃべくり漫才系のコンビが圧倒的に強かった。

 大学時代を関西で過ごした私には、その理由がおぼろげながらも見えた。

 学生時代、私は私なりに関西弁を操っていた。そして、驚嘆した。関西弁とは、なんと感情を乗せやすく、テンポのいい話し言葉なのか、と。

「しばくぞ、こら!」

「やっぱ、好きやねん」

 関東に戻ってきて30年近くになる。使ったことはなかったが、これらの言葉を超える怒りの言葉、愛の言葉を私は未だに知らない。

 ラップは英語がいちばんフィットするように、演歌は日本語がもっともしっくりくるように、漫才における最強の話し言葉は関西弁である。そんな確信があった。

©iStock.com

 その仮説を、関東を代表する漫才コンビ、ナイツの塙宣之にぶつけてまとめた『言い訳 関東芸人はなぜM-1で勝てないのか』(著・塙宣之、聞き手・中村計)は、10万部のベストセラーになった。このあたりから、芸人関係、漫才関係の仕事が急増し、私はより一層、この界隈の取材にのめり込んでいくことになる。

 漫才とは何か。笑いとは何か。その核心を、その神髄を、覗き見たくなった。

 ただ、厳密に言えば、私は、漫才を好きになっただけではなかった。それ以上に、漫才に、そしてM-1に青春を賭けた芸人たちの姿に、たまらなく惹かれたのだ。

 彼や彼女たちの人生に触れるたびに、やはり人は神に祝福されているのではないかと思った。号泣しながら大笑いしたくなるような、生きることを1%の疑いもなく肯定したくなるような幸福な気分に満たされた。

 漫才師とは、なんとバカな生き物なのだろう、と。