マグロ漁船での過酷な生活やブラック労働の実態について紹介するYouTubeチャンネル「元マグロ漁船員チャンネル」。動画投稿者の菊地誠壱さんが初めてマグロ漁船に乗ったのは17歳の時だ。親が自営業で5000万円の借金を抱え、その返済が目的だったという。
ここでは、菊地さんが自身の経験をまとめた本『借金を返すためにマグロ漁船に乗っていました』(彩図社)より一部を抜粋。初めて乗った遠洋マグロ漁船で横行していたパワハラの実態について紹介する。(全2回の2回目/近海編を読む)
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初めての遠洋マグロ漁船
近海マグロ漁船だけ経験していた私は、18喜龍丸という遠洋マグロ漁船に乗ることになりました。早速秀樹ちゃん(編注:著者の従兄弟)と仕込みに向かい、船頭さんに挨拶して私物を詰め込みました。
覚悟を決めて、4か月間の航海へと出発です。
出船後、約2週間はひたすら船を走らせました。目的地はハワイよりさらに先、中米のパナマ付近です。この間は操業しませんが、船員にはいろいろと仕事があります。
特に大変だったのが、ブラン刺し。ブラン(枝縄)を縄刺し(縄と縄を接合すること)の要領でほどいて編み込んで、スパイキ(先の尖った棒)を使って刺していきます。これが難しいというか、そもそも近海マグロ漁船ではやったことのない作業だったので、なかなかできませんでした。ブランはマグロが掛かったときに引っ張る仕掛けの細い縄ですが、縄刺しをするときの縄よりもずっと細いので、なかなか刺せません。
ブランと悪戦苦闘していると、この船のボースン(甲板長)が寄ってきました。
「なんだ、ブラン刺しできねえのか?」
「はい、すいません……」
「そうかそうか。ならシメつけながら教えるしかねえな」
「すいません……」
シメつけながらとは、殴りつけながらという意味です。
ボースンは髭がボーボーで髪も長く、体も大きいので熊みたいな男です。このボースンがパワハラを繰り返していました。
操業が始まると「何やってんだ!」「バガこの!」とボースンに怒鳴られまくります。そして「バガ野郎!」とケツを蹴られる。毎日こんな感じでした。たまにタバコをもらうこともありますが、暴力と暴言が続いてとてもキツかったです。