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若かったらYouTubeでめちゃくちゃやったかも(笑)。例えば股間にブリーフを……

――まあ、そうですね。

西沢 僕は幸いにもいい歳なので、若いYouTuberの方々が世間を炎上させるような事にも興味は無いから数字も爆発的には伸びない。それでも、毎回『GROOVE LINE』時代からの質のいいお客さんがたくさん見てくれています。そこはセンスの分かれ目で、僕は見ている人が怒り出すような仕掛けは元々好きじゃない。

 いまのYouTubeの原形には、00年代初め、MTVで流れていた『ジャッカス』といったいたずら番組が影響を与えていると思うんだけど、近年、社会的に騒がれているのは、もうちょっとえげつない嫌悪感を与えるようなYouTuberですよね。やり過ぎがあったら再生回数がハネないといった良心が視聴者側にあればいいんだけど、現状ではまだまだやり過ぎな内容のほうがハネる。

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 何か謝罪して頭を下げているのに、本当は「これ、再生回数、おいしいぞ」とペロッと舌を出しているようなコンテンツは見ないようにするとか、そのくらい成熟した文化にならないとね。でもまあ、一方で、いま自分が若かったらもっとめちゃくちゃやってたかもしれない。有志の視聴者が何十人かで集まって、股間にブリーフ食い込ませたまま国会議事堂の周りを練り歩くとかさ。

©文藝春秋 撮影/石川啓次

――なんですかそりゃ(笑)。

西沢 「どうだ?」「痛いっす!」「よし、ちょっと力を入れ直してやる。こいっ!!」「えーっ、マジっすか……(ブリーフを引っ張り上げられて)ウッ!!」みたいな(笑)。人を傷つけたり、不快にさせずに楽しめれば何だっていいんだし、そこに営業案件が入ってきても面白い。

 もちろん、ラジオにも日常的な存在になれるという利点はありますよ。仕事や勉強や家事の合間のくつろぎにラジオをつけると、同じ時間に、同じパーソナリティがしゃべっているという安心感です。でも、番組そのものはお客さんが選ぶものの、基本的にラジオやテレビは局側がリサーチした情報をまとめ上げたコンテンツを「当たり前」の流れとして放送する。

 その「当たり前」が、いまの時代の波に乗れているのか? 取り残されていないか? という点については、それこそ10年以上前からずっと考えていましたね。

©文藝春秋 撮影/石川啓次

――現状、ピストンさんが感じるラジオの課題とは?

西沢 ひとつにはドメスティックとしてのフットワーク。これは余談だけど、昔、小林克也さんから、「ピス、お前がもし英語をしゃべれてアメリカに住んでいたら、全米1,000局ネットで年収20億はいったぞ?」なんて言ってもらえたことがあってね。アメリカのラジオ局の形態というのは日本と全く違って、一人が1日8時間とか長尺を受け持って、ずっと音楽をかけたりしゃべる。何なら自分でミキシングまでやるケースもある。制作コストも低いし、自由度も高いわけ。

 そんな放送局が大小山ほどあって、それでブレイクすると全米ネットになるんだけど、それでも放送は相変わらずカンザスの小さいスタジオから、とかね。日常的な聴かれ方も影響力も日本より大きいし、まだまだ捨てたもんじゃない。

 でも日本の場合、免許制度との兼ね合いもあるし、在京の代表的なFM局は会社の規模も決して小さくはない。もっとドメスティックにいろんなことをやってもいいんじゃないかと思うんですけどね。街にラジオカーでも出して、一日中いろんなところに行って放送したっていいし。