文春オンライン
『私が見た未来』作者が明かした、東日本大震災を“予知”するまで「轟音とともに津波が迫り、逃げ惑う人々の中で…」

『私が見た未来』作者が明かした、東日本大震災を“予知”するまで「轟音とともに津波が迫り、逃げ惑う人々の中で…」

たつき諒さんインタビュー #1

note

若い頃に見た「津波の夢」

 苦肉の策として、自分の夢日記をめくってデジャヴ体験や不思議な夢をかき集め、2つのマンガを描きました。いくつかの夢の最後に気がかりな夢として、若い頃に見た津波の夢を取り上げました。

 夢の中の「その年」は春になっても気温が不安定で、小さな地震があちこちで起こっていました。ある夏の日、轟音とともに津波が迫り、逃げ惑う人々の叫び声の中で私は意識を失って……。目が覚めても映画のシーンのように忘れることができず、作品として発表しようと下書きはしていたのですが、寒気と吐き気に襲われて断念していたのです。

 編集者いわく、読者の体験談募集のコーナーにも「大津波の夢を見たからマンガにしてほしい」という投稿は多くあったそうです。そうした声の代表として私の見た夢を描いたら面白いんじゃない、と背中を押され、「私が見た未来」という作品として描き上げました。

ADVERTISEMENT

『私が見た未来 完全版』(たつき諒 著、飛鳥新社)

引退前に「大災害」の夢を見た

 その後は結局、ネタ切れでマンガ家引退を決めました。担当だった編集長にその意思を伝えると「最後にうちで発表した作品をまとめて単行本にしよう」と言ってくれて、夢日記を元にしたマンガも収録されることになりました。

 単行本の表紙絵は、締切前日にはほとんど出来上がっていました。絵柄は女性の周りに数枚、白い紙を描き、そこに自分の夢日記の絵と文字を描き込んでいました。ただ1枚だけ空白のままだったんです。何を描こうかギリギリまで悩みました。

 その夜、奇妙な夢を見ました。映画のスクリーンのような真っ白なところに文字が表示されたのです。

「大災害は2011年3月」

 目が覚めた時、「これを書いちゃおう」とひらめいて、空白だったところにこの文言を書きました。もしかしたらということもあり得るし、書かないで後悔するよりは、と思ったのです。それが引退前最後のペン入れとなり、『私が見た未来』の表紙絵が完成しました。