1999年、ひとりの漫画家がひっそりと引退した。平成の奇書『私が見た未来』の作者・たつき諒さんその人だ。
本書の表紙には「大災害は2011年3月」とある。出版から12年後に東日本大震災が発生し、「幻の予言漫画」として注目を集めることに。
ここでは「文藝春秋」2022年4月号に掲載された、たつき諒さんのインタビューを抜粋して紹介する。「夢日記」を描き始めた理由とは――。(全2回の1回目/続きを読む)
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夢日記としてちゃんと記録するようになったのは85年からです。母からまっさらなノートをもらったのがきっかけでした。
誤解のないように言っておくと、変わった夢はさほど見ていません。他の人と同じく個人的な内容が大半を占めるので、マンガのネタになると考えていたわけでもありません。
なぜ夢日記をつけていたかというと、深層心理の表れとして、夢判断の本と照らしながら「なるほど、私はこういう精神状態なんだ」と分析するのが面白かったからです。
夢日記は「私的な記録」だった
また、ごく稀にですが、夢で見た場所や顔と、現実で出くわすデジャヴ(既視感)のようなものを経験したことがあって、夢に興味が湧いたという面もあります。
いずれにしても、夢日記は自分が楽しむ私的な記録だったのです。
90年代には、怪談とか恐怖体験の雑誌に描くようになります。そういう話を面白がれたのは、私にスピリチュアルな能力がないからです。仮に霊能のようなものを自覚していたら、あまりに現実的すぎて描くのが怖くなるのではないでしょうか。ですから、マンガのネタは私自身ではなく、周囲の人たちから聞かせてもらった体験談ばかりでした。
やがてそうしたネタも尽きてきました。義姉が看護師だったので、病院で起きた怖い話をよく提供してもらっていたのですが、既に雑誌で発表されたものとダブっていると描けないのです。