障害や病気のある兄弟姉妹がいる子どものことを「きょうだい児」という。月まるさん(40代女性)は、5歳下の妹に重度知的障害と自閉症があり、小さい頃からお風呂やトイレの世話が日課に。「ほかのきょうだいだけでもエリートコースに」と願う母親から教育虐待を受け、身体的暴力も日常茶飯事だった。
それでも月まるさんは、30代半ばまでは「良いお姉さんでいなくては」「親がいなくなったら私が妹の面倒を見なければ」という思いが強かったが、現在は実家と絶縁している。絶縁の経緯や、子どもの「遺伝」に関して思うこと、「親亡き後」の考え方の変化について聞いた。(全3回の3回目/最初から読む)
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──実家との距離を取り始めたきっかけは?
月まる 大学を卒業してすぐ結婚し、子どもが生まれました。「両親に孫の顔を見せてあげないと」と思っていたので、子どもが小さい頃は七五三のお食事会をセッティングするなど、定期的に会う機会を設けていました。でも子どもが小学生になって、私の母を嫌がり始めたんです。
──何があったのですか。
月まる 子どもが「(実家に)行きたくない」と言うんです。詳しく聞くと、「おばあちゃんが抱きしめたりほっぺをつけたりしてきて、『やめて』と言ってもやめてくれない」「おばあちゃん家の洗剤の臭いが苦手だから、断ってるのに毎回勝手に洗われて、嫌がると『洗ってやったのにその態度はなんなの』と怒られる」と。
「老いた親に孫の顔を見せるのが親孝行」という世間の規範に従っていた
──お子さんを守るためだったのですね。
月まる それまでも親から受けた暴力を私はずっと許していなかったんですが、「老いた親に孫の顔を見せるのが親孝行」という世間の規範に従っていました。でも嫌がっている子どもを見たときに、子どもに我慢をさせてまですることなのか、と思ったんです。
──一人暮らしのときは母親の連絡がしつこかったとのことですが、結婚してからは干渉などはあったのですか?
月まる 母は、よくわからないものを一方的に送りつけてくることがありました。開封済みのお菓子や、1ページ目だけすでに使っているノート、フリマで買ったよくわからないものなど、もらっても全く嬉しくないものが数カ月に1回、50cmくらいの大きな段ボールで送られてきていました。
何度も「もう送らないでほしい」と言ったものの伝わらず、それどころか、こちらが喜んでお礼を言ってみせないとキレるんです。