文春オンライン

童貞イジりツイート炎上問題で考える、童貞との向き合い方

人権の時代と「童貞」という名の権威主義

2018/01/19

童貞をイジっていい「神」たちは何者か?

 しかし、かたや人権侵害、かたや神。ちなみにディスってはいけない騒動の最中に某人気AV女優が「童貞を殺すセーター」なるもの(肌が不自然に露出するニット)を着た写真を、童貞に向けて発信したツイートがたまたま流れて来たが、そこに連なるリプライはほとんど教祖のご託宣を聞いた妄信的信者たちのごとく、感謝と感動の雨と嵐にあふれていた。

 童貞をイジっていい神たちは何者か。おそらく、男であれば童貞の理解者、あるいは童貞に限りなく近い非童貞(現に『DT』で著者らは「経験はしていても自分の中にはまだ、童貞が残っている場合がある」「肉体の童貞は失ったけど、精神はまだ童貞だぞっていうのを、まず『DT』って呼んでみよう」と定義し、自分らを体育会系モテ組と差別化する)であって、これは理解に容易い。

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 背が高くて運動神経がよくていかにも若い時からモテていました、みたいなエグザイルみたいな人たちと、童貞期間がきっと長かったであろう文化系男だったら、後者による童貞ディスは「僕も似たようなもの」「僕もかつてはそうだった」的な免罪符をつけているように感じられる。実際はエグザイルもかつて童貞だったんですけどね。ちなみにこの文春オンラインで「童貞」と記事検索をかけると、ヒットするのは燃え殻氏の記事が多く、このセオリーにピタリとハマる。

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「ものすごく経験豊富そう」「やらせてくれそう」な女性は許される

 一方、女性でも、私に童貞をディスるイベントの出演依頼が童貞から来たり、ディスってはいけない期間中であっても非常にデリケートな名前のセーターを着て許されるAV女優がいたりするわけで、そこの境目はおそらく「ものすごく経験豊富そう」か「やらせてくれそう」かがポイントとなっている。

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 つまり、やらせてはくれなそうであっても杉本彩や壇蜜のようなエロの大家的パブリックイメージを持っていれば、童貞たちはあまり逆らえない。エロの大家とまではいかなくともやらせてくれる可能性があれば童貞たちはやはり実益を重んじてそれほど怒らない。AV女優や私を含めた元AV女優たちは、若干不本意ではあるが、大いに「やらせてくれそう」であることは間違いない。逆におそらく、エロの経験値が高いわけでもなく、やらせてもくれなそうな女にいじられると、男としては、同類かと思っていた女に裏切られた悲しみによって、「お前に言われたくねーよ」スイッチが稼働するのだと思う。

 男性は童貞の同類っぽい人にのみディスが許されて、女性はどちらかというと同類っぽくない人の方がディスが許されるということだとすると、この度の「童貞をディスってはいけない」キャンペーンが盛り上がったのは、童貞イジりをしたのが、「やらせてくれなそう」で「そんなにエロの経験値が高くなさそう」で「純朴そうな服を着ているし、むしろ僕ら童貞の仲間かもしれない」と勝手なパブリックイメージを持たれていた女性だったという点に尽きる気がする。一人の女性ブロガーのかなりショッキングな告発をかき消すほどの声が上がった騒動の根幹にあるのが、「仲間だと思ってたやつが実は結構経験あって俺たちをバカにしやがったよ、やらせてもくれないくせに」だとしたら、実にくだらない。