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 結果、学校に通う子を持つ日本人が学校周辺に引っ越した。高額な復元費用が住宅価格に上乗せされた上、旧日本軍官舎周辺が日本人で溢れることになり、このことに住民が不満を抱いて、旧日本軍官舎そのものの撤去を求めるようになった。

復元された防空壕

 問題をややこしくしているのは、所有権の問題だ。文化財登録を前に、公園と旧日本軍官舎の所有権がSH公社から麻浦区庁に移ったのだ。韓国の文化財は所有者の申請にもとづいて審査を行い登録する決まりで、地域住民とは関係ないSH公社と異なり、麻浦区庁は住民の声を無視できないため文化財の登録申請が容易ではない。

 文化財登録したい文化財庁は区庁側の申請を待っているが、麻浦区庁は撤去を求める住民と保存を求める文化財庁の板挟みにあい、かれこれ10年以上も放置を続けている。

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(3)元大統領が暮らした和洋折衷住宅:日本家屋で計画された軍事クーデター

応接室が入口になっている朴正煕元大統領の暮らした家

 ソウル市中区新堂(シンダン)洞には前の2つとは異なる理由で保存されている家がある。朴正煕元大統領がソウルに居を移してから国家再建最高会議副議長に就任して官舎に移るまで家族と共に暮らした家で、統治時代に建てられた和洋折衷住宅だ。

 1930年代、首都人口の増加を受けて中産階級向けの文化住宅が十数棟、建てられた。近隣の和洋折衷住宅は悉く撤去されたが、朴正煕が暮らした1軒のみが保存されている。

復元された家は応接室が入口で庭には朴正煕夫妻の写真が飾られている
朴正煕元大統領の書斎

 中に入ると朴正煕元大統領の書斎机や朴槿恵元大統領が勉強したであろう部屋が再現されている。夫婦と3人の子供たちが暮らした微笑ましい家にも見えるが、1961年に朴正煕が主導した5・16軍事クーデターはこの家で計画されたという。

 
朴槿恵元大統領らが過ごした子供部屋

 小学生だった朴槿恵元大統領もクーデターの首謀者らと食卓を囲んでいたかもしれない。いまは玄関ではなく庭に面した応接室から出入りする。また、台所が展示室に改装されたが、それ以外は朴正煕一家が暮らした当時の住宅を再現しているという。