日本国外のはずなのに、韓国・ソウルでは今も「独特の日本らしさ」を感じることがある。在韓ライターの佐々木和義氏によれば、そんな街角に残る約100年前の大日本帝国時代の面影の中には、意外な“歴史的日本建築”もあり、地元は保存と撤去の間で揺れ動いているという。今回は、そんな「隠れた日本建築遺産」を3つ紹介していこう。
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(1)旧三菱社宅:最盛期には1000人近い労働者が…
今年4月、韓国仁川市のある住宅の保存が決まった。旧三菱社宅だ。
1938年、朝鮮に進出した弘中商工が労働者用住宅として建設し、経営危機に陥った4年後に三菱製鋼に売却した。1棟10軒の長屋で最盛期には16棟の長屋に1000人近い労働者らが住んでいたという。戦後は一般住民の住宅となり、1棟ずつ取り壊されて6棟だけが残っている。
住宅をめぐっては、長年にわたり「取り壊し」と「保存」の間で議論が続いてきた。周辺住民は三菱の遺構は撤去すべきだと要求したが、歴史的価値から学者たちは保存を主張。
平行線をたどっていた2019年、仁川市富平区庁が旧社宅を撤去して公営駐車場を建設する計画を立てたことで問題は一段落したかに見えた。しかし、文化財庁が区庁に「文化財登録を検討してほしい」という公文書を送って保存を要請し、決着は先延ばしになった。
要請を受け、区庁は「旧三菱社宅官民協議会」を発足させて3つの案を提示した。一部を保存して公営駐車場を縮小する案、旧社宅の一部を博物館に移設する案、そして全部を保存して別の場所に公営駐車場を作る案だ。
協議を重ねた結果、意見を求められた住民は保存を選択。住民代表は広い駐車場が欲しいというが、文化財として登録されると税の減免が受けられるのだ。しかし、地元では依然として「損壊が進んでいるすべてを税金を投入してまで保存するより、一部のみを復元して、大半を撤去する方が良い」という意見もくすぶっているようだ。