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旧三菱の社宅に元大統領の住宅も…いまもソウルにのこる3つの「隠れた日本建築遺産」

2022/12/10
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筆者の事務所近くにも…

 筆者の事務所がある乙支路(ウルチロ)印刷団地には、昭和時代にタイムスリップしたかのような一角がある。

 
 

 1階は古い店舗にしか見えないが、2階は昭和初期を彷彿とさせる。このあたりは統治時代に日本人居住地だった地域で、現在は当時の建物を店舗や工場に利用しているのだ。

 また、日本人観光客に馴染み深い南大門市場にも日本家屋が残っている。

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 筆者は古い住宅の2階に注目している。というのも、韓国では古来、寒い冬を床暖房の「オンドル」で凌いできた。いまはガスや電気が主流だが、かつては台所の熱を床に送り込んでいたので、平屋造りが基本である。

 一方、コタツやストーブで寒さを凌いだ日本人が暮らした住宅は2階建てが多い。朴正煕の旧宅の最初の入居者は不明だが、日本人居住地から離れていることやその構造から、韓国人向けだったと推察できる。

 

 韓国人が建てたなら韓国式だったろうが、日本の住宅会社が畳生活に慣れていない韓国人向けに建てたので和洋折衷にしたのだろう。旧日本軍官舎も平屋だが、単身の将校向けだったので広い家は必要なかった。

 明洞に隣接する南大門市場から忠武路に至る南山北麓一帯は、統治時代は日本人居住地。いまはソウル随一の繁華街である明洞も、もともとは日本人の商店街として作られた。現在の明洞でそのものズバリの日本式の建物を見つけることは難しいが、南大門市場の裏通りや忠武路駅近くには数多くの日本家屋が残っていて、20~30分も散策すれば複数見つけることができる。

日本人居住地だった忠武路の裏路地に残る日本家屋

 ソウル駅旧駅舎や韓国銀行貨幣博物館、新世界百貨店など統治時代の大規模建築は知られているが、筆者は住宅や商店に挟まれた日本家屋を探す散歩を楽しんでいる。

 

写真=筆者撮影
 

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