(2)旧日本軍官舎:「保存か撤去か」こちらも板挟みは10年続き…
旧三菱社宅は保存が決まったが、保存か撤去で揺れている住宅がある。ソウル市麻浦区上岩(サンアム)洞にある旧日本軍官舎だ。
2005年、ソウル住宅都市公社(SH公社)が大規模団地の造成に着手した。テレビ局やIT企業が入居するオフィスビルと3000世帯のマンションからなる「デジタルメディアシティ」を作ろうというのである。
計画を進める中で、SH公社はゴミ集積所に隣接する場所で22棟の古い木造住宅を発見した。文化財庁に調査を依頼し、統治時代の日本軍官舎だったことが判明し、防空壕も見つかった。
1930年代、中国戦線の戦いが激しさを増すと、旧日本軍は京城府(現・ソウル市)から満州に至る鉄道沿線の水色(スセク)駅周辺に大規模な軍事基地を作った。木造住宅が見つかったのはその軍事基地があった場所である。
戦後、韓国軍が接収し、60年代半ばに民間に払い下げられると富裕層が相次いで購入したという。88年から90年に在任した姜英勲元首相も旧日本軍官舎に居住した一人である。78年、近くにゴミ集積所が作られると人々が敬遠するようになり、開発を免れたのが残存した要因とみられている。
文化財庁は旧日本軍官舎を保存したい意向だったが、保存となれば造成計画を大幅に変更せざるを得なくなる。そこで規模の小さな計画の見直しですむようにと、2棟を住宅団地のミミズク公園に移転して復元し、残る20棟を撤去する方針を固めた。
この方針のもと、SH公社は13億ウォン(当時の為替で約9870万円)を投じて移築・復元。防空壕も復元したが、そんな矢先に問題が発生した。移築復元工事が終わった2010年、ソウル日本人学校が道路を挟んだ向かい側に移転したのである。