ひょんなことから、あるバンドマンの娘である中3女子の家庭教師をすることになったピストジャムさん。高校に行く気さえなかった彼女を、志望校合格にまで導いた彼の指導法とは? インタビューに続いて、ピストジャムさんの新刊『こんなにバイトして芸人つづけなあかんか』を一部抜粋してお届けする。(全3回の3回目/#1、#2を読む)
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僕たちの受験勉強
下北沢のバーでバイトしているときに、高校生のころから聴いているバンドマンのかたが飲みに来た。僕は、すぐに気がついた。なぜなら、その人の見た目は特徴的すぎるからだ。
ピンクのモヒカン頭に、たっぷりのひげ。こんないでたちの人は下北沢でもそうそう見かけない。服装も個性的で、ゆったりとしたチェックのシャツに、まるでスカートのようなシルエットのパンツをはいていた。僕からすると、もうおしゃれをとおり越して、傾奇者だ。
話してみると、見た目とは裏腹にとても気さくなかただった。そののちも何度か飲みに来てくださって、連絡先を交換する仲になった。
それから、しばらく会わない時期が続いたが、僕から連絡することはなかった。向こうからしたら、僕はただの売れない芸人だと思われているだろうから、自分から連絡するのはなんとなく申し訳ない気がしてできなかった。
会わなくなって何年か経ったある日、ライブ終わりに後輩数人と下北沢を歩いていたら、道端でばったり再会した。僕は、深々と頭をさげて「ごぶさたしてます」と挨拶した。一緒にいた後輩は、みな驚いていた。そりゃそうだ。いままで「何食べる?」「居酒屋もいいけど王将もいいな」とかだべっていた先輩が、突然目の前に現れたピンクのモヒカン頭の人に急にお辞儀し出したのだ。後輩も僕に釣られて、一斉に「おはようございます」と挨拶していた。
その人は、「しばらく見ない間に売れたなあ。こんなに後輩連れてえ」と言った。僕は、「いや、たまたま。ライブ終わりだったんで。本当に」としどろもどろになりながら答えた。「連絡先、変わってない? 今度誘うわ」と言って、その人は去っていった。後輩たちは「いまの誰?」「他事務所の人?」「なんか俺見たことある」などと口々に言い合っていた。
それから、頻繁に飲みに誘ってもらうようになった。バンドのライブや打ちあげに呼んでもらったり、飛び入りでライブのステージにあげてもらったこともあった。
家に呼んでいただいて飲むことも多かった。その人のお宅には、いつも大勢の後輩バンドマンやミュージシャンが集まって、深夜まで酒盛りしていた。奥さんは、たいへんだったとは思うが、後輩が増えるたびにかいがいしく席を立ち、手際よくつまみをつくって出してくれた。娘さん二人も、「今日は誰々来ないの?」とか「この前、誰々と買いもの行った」と、そんな生活を楽しんでいる様子だった。
僕は、なんだかうらやましい気持ちになった。芸人でも、こんなにしたわれている先輩はなかなかいない。その人のあけっぴろげな性格にひかれて、みんな集まって来る。ただ、家にやってくる後輩の人たちが、飲んだあとに平気で家に泊まっていくのにはびっくりした。