その人の家族が家を空けているのに、後輩だけが家で寝ているなんて日常茶飯事だった。なかには、2日続けて泊まっているから自分の家には帰っていないという人もいた。芸人でも、こんなことはさすがにない。これを許せる懐の深さが、この人の魅力なんだなと改めて感心した。
「そういえば、早稲田だっけ?」
それは、いつものように家にお邪魔して飲んでいるときだった。下の娘さんが、春から中学3年になるという話題になった。初めて会ったのは彼女が小学6年のときだったので、もうそんな歳になるんだと思いながら話を聞いていた。
翌年には高校受験が控えているから、最近塾に通わせてみたらしい。そしたら、授業料が高すぎてまいったという。聞くと、確かに高い。月に4万円以上。僕は、それを聞いて「高いですねえ。僕なら半額でやるのに」と言った。すると、「そういえば、早稲田だっけ?」と言われた。僕は「いや、慶應です。でも、慶應卒って履歴書に書いても、いまはバイトの面接で、嘘書くなって言われるくらい誰にも信じてもらえないですけど」とおどけて答えた。
「じゃ、週に1回でいいから家庭教師やってよ」と言われた。「え? 本当に?」。奥さんからも「お願いします」と頼まれた。二人とも顔がマジだ。そして、僕は週に1回、日曜の夜に3時間、家庭教師をすることになった。
教える科目は数学と理科。娘さんは数字が苦手らしく、その2教科だけが極端に成績が悪かった。僕は、高校のころ理系を選択していたので、なんとか教えられるかなと思った。
僕に託された目標は、志望校合格。だが、聞いているかぎり、いまのままではかなり厳しい戦いになりそうだった。
数学と理科は、暗記科目ではないので、まず基礎をきちんと理解することが必要不可欠だ。そして、それができて初めて応用編に移ることができる。一朝一夕で成績をあげることは不可能だ。まだ受験まで1年の猶予があるが、それでもぎりぎりだ。こつこつやっていくしかない。
くわえて、娘さん本人は、そもそも高校に行く気がないという。志望校は、もし行くとしたらここがいいかなという感じで選んだらしい。本人は、中学を卒業したらバイトして働くと言っている。だから、勉強にはまったく興味がないし、身も入らない。
これは奥さんから聞いたのだが、彼女は幼いころ少し体が弱く、小学生のときは学校を休みがちだったらしい。それが原因で、数学と理科にはついていけなくなったという。
僕は、まず彼女と仲よくなるところから始めた。