日本の中絶を巡る法は独特である。刑法には100年以上前に定められた堕胎罪が今も残り、戦後の1948年に制定された優生保護法(1996年に障がい者差別的な条項を削除して母体保護法に改正)で、レイプによる妊娠の場合、また、翌年には経済的理由における中絶は違法とみなされなくなった。背景には、人口急増に伴う国民の窮乏状態があった。
優生保護法では、各都道府県の医師会が指定した医師(指定医師)のみが、本人とその配偶者の同意を得て中絶を行えることも定めていた。
こうした「配偶者の同意」を求める規定が今もあるのは日本を含め世界でも10カ国程度に過ぎず、その大半はイスラム教の戒律が厳しい国々である。欧米では、配偶者同意要件は妊娠した人を一人前扱いしない差別だと見なされる。
1970年代から80年代には、労働者不足を危惧した与党議員が、優生保護法の「経済条項」を撤廃して中絶数を削減しようと試み、国会でも中絶する人を断罪する答弁を行った。その頃、中絶は女の罪と説く水子供養も流行し、中絶のタブーとスティグマが強化された。
安全性の低い中絶法を採用していた日本の医療現場
戦後の日本で中絶が合法化された時、指定医師は子宮内容除去術と呼ばれる外科的中絶手術を採用した。全身麻酔を施して子宮の入り口(頸管)を医療器具で拡張しておき、鉗子で子宮内容物を取り出してから、キュレットという細長い匙(さじ)状の器具で子宮内膜を掻き取る方法で、一般に「掻爬(そうは)」として知られている。
一方、1970年前後に女性解放運動(ウーマンリブ)の末に中絶を解禁した欧米諸国では、違法の堕胎師が用いていた拡張掻爬術(D&C)は危険視されていた。そこで医師たちは、安全性の高いカーマン式カニューレというプラスチック製の管を採用し、それを電動または手動の吸引機器に付けて子宮内容物を吸い出す「吸引法」を導入した。